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優秀冠句


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2008年4月







秀  句  鑑  賞

 立春以後光りの明るさは眩しく際立つが、風寒く雪舞う気象に、名のみの春を強く感じる日々である。昨日今日も底冷えの京の、比叡や北山そして屋根の北側に残雪を目にする光景が寒い。しかしこの号が皆の手許に届く頃は四月陽春。今年は雪の日が多かった気候でも、開花は早いのかもと—風光の輝き—に感じた。折りしも月の出と日没がおなじ刻限、月は東山の上に仄白く昇り、日は西山に淡い春茜を燃やして沈んでゆく、瞬時の美景を観る。

気象台 ひかり静かな春あらむ 久佐太郎

  処で、本誌二月号で述べた芥川龍之介の掌篇に、文芸論がありその中で、川柳に触れていて前文は略すが「古い川柳の発句に近いことは或は誰も知っているかも知れない。のみならず発句も一面には川柳に近いものを含んでゐる」と書き、また詩形論では元禄時代の連句に目を注ぎ「大力量の一人の『片歌の道守り』さへ出れば……日本の過去の詩の中には緑いろのもが何か動いてゐる。何か響き合ふものが」と述べ、その不思議に心惹かれるとある。
  私は、その文中の川柳を冠句、大力量の一人に久佐太郎師を考え、冠句文芸の緑いろが響き合うを重ねてみた。些か牽強付会を感じるが、先師の 濡れている 滝見茶屋から駕篭を捨て の作の興趣の響き、座五の……捨て の付合いへの含みは芭蕉の歌仙に通じる用法で、軽い感動の修辞でよく決まっている。それは「芭蕉の特色は目に訴へる美しさと耳に訴へる美しさとの微妙さ」と捉えた芥川の眼福に適う。昭和二年「芭蕉雑記」を遺し彼は逝った。先師は彼を「時代の緑雨」と評されている。相通う勘所だ。

細き笛 黒ぐろと山や脈ま眠らしむ 三 村 昌 也 ▲戻る
 

 立句を成すことが冠句性の明らかな姿であることから言って、この作は「句姿高く位よろしき」に適う、印象大きく格調も正しい一典型と云える詠みぶりで、冬山の叙しようを蒼古にして重厚な句風に打ち出していい。詩の「冬山は眠るが如し」を踏まえた「眠らしむ」だが、黙々とした孤高の景に細き笛が応じている。

細き笛 母の一生懐かしむ 小 牧 稔 子 ▲戻る
 

 もっとも情愛をそそがれた憶いが籠もっているのだろう。肉親のそれも母と深く係わる、しみじみと記憶を呼び覚ます「細き笛」によって、恐らく一番心配をかけたことごとさえ、今は親わしげに偲べるのだ。純で普遍的な人情の情懐で自己憐憫も働いた句。

今日楽し 神の水受け結願す 秦 谷 淑 子 ▲戻る
 

 この句は「神の水」と謂う単純化された表現以外、殊更な情景は無いが、心のよろこびは素直にあらたかな気分で「結願す」と打ち出し語られている。そこにまぎれもない心情の妙が窺える。

今日楽し 名もほれぼれの産地米 高 岡 ひろみ ▲戻る
 

 食味の悦びで平俗は否めないのだが、作者が好む産地の銘柄がつと口を衝いて出たように、好ましく「名もほれぼれ」と告げている。その自然の恵みへの感動印象を明快屈託なく描き面白い。

細き笛 古里がまだ呼ぶような 樋 口 八重子 ▲戻る
 

 古里を喚起させての句で、作者の中で回想と想像が重なっている、心象化した懐郷風景に外ならないだろう。それが「呼ぶような」想いにさせるのである。從って哀しみも滲ませた歎がある。

細き笛 ダム底よりの祭り唄 竹 尾 真 弓 ▲戻る
 

 句のモチーフは前句に通うが、印象風景が「ダム底」に埋没した一村への愛惜を「祭り唄」に導き出し、回顧の情を強めた。

細き笛 むらさき煙る千年紀 石 田 貴 美 ▲戻る
 

 紫式部の源氏物語をイメージした「千年紀」で、文化風俗史の憧憬的時事吟といえる。王朝趣味への傾心を「煙る」語に込め、情熱浪漫を叙している。その面だけを鑑賞すれば言う事は無い。

今日楽し 実生の枇杷の花いくつ 近 藤 恭 代 ▲戻る
 

 初冬目立たぬが白く芳香する「枇杷の花」の景。種から生長した樹花への愛しみと、人煙塵埃の裡で視た淋しい気も伝わる句。

細き笛 オカリナを吹く小鳥の死 北 川 久 旺 ▲戻る
 

 「小鳥の死」は触発想像であろう。然し真情は微塵も無く確か。

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