秀 句 鑑 賞 |
心地よい秋が無いまま木枯一番が十一月十八日舞い、列島は初冬に入った。来る新年はどうであろうか、と言う思いの中での句評書きである。本号が一月号であるから「明けましておめでとう」を申し上げ、子歳の一年穏やかで細やかさに満ちた暮らしを願う。
集句が新年に寄り合わせた作が多かった。ために類型に流れたが、作句イメージは広く飛躍させて深く掘り下げた"今"を、詠むことが佳い印象句を書けよう。冠句の懐深さがそこにある。 |
水新た |
森の精気をいただきぬ |
樋 口 八重子 |
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常は何程のことも無い極当たり前の景観としか見ないが、季節の移りの不思議さに触れて、唯見ていただけの「森の精気」に、作者は永遠の神秘さを、今改めて感じ取ったのだろう。森の樹相に水を揚げ水を澄まし流す、その瑞々しさを「いただきぬ」と或る畏敬の念いで感じた水に、鮮しくも緊張した姿が映り出ていい。
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水新た |
木の家少し発熱す |
住 澤 和 美 |
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一読若々しい気の張った作で、作者独特のボキャブラリーに審美的精神から生じた、感動が「発熱す」と高揚されている。水奔しる勢いに「木の家」の勁くて柔軟な建造物が、閑かな林の時の生命を甦らせて、住む人の性格を迸らせるかに見えてくる境地。
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思い満つ |
今立つ此処を青山に |
上 田 國 寛 |
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人生の哀歓を「此処を青山」にと歎じて、墳墓の地への憶いを求め賛えている。有名な"人間到る処青山有り"の詩句を引いていよう。学問に対する気質と意識を籠めた思いが打ち出ている。
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水新た |
神気満たしてわが齢 |
夏 原 弘 |
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新年の初詣に際しての作者のすべてを託した祈りの姿。神域の魂まで澄み切る感を「神気」と詠み、御手洗での清めの冷涼さに作者の肉体と年齢の上の、息災を念じる感が透視されて伝わる。
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思い満つ |
父の平手は一度だけ |
篠 原 和 子 |
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慈愛の強さと激しさを「父の平手」擲ちに、作者は耳澄ましてその感触を「一度だけ」と、愛しくも淋しく思い出したのだ。あの時の、父と娘の感情の響きが、懐かしく消し難く詠んである。
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水新た |
手漉きの賀状郷匂う |
中 坊 宇多子 |
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元旦に届いてまことに心嬉しい「手漉きの賀状」を詠んで、紙の産地を讃えている。目新しいとは言えないが、昨今規定の年賀状に印刷、それもワード打ちが多い時に「郷匂う」品物は佳い。
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水新た |
千羽目の鶴発たしめて |
野 村 民 子 |
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切なる願いを折り鶴に託す慣習は、わが国の美しい風俗景の一つ。句材としてもよく扱われ目新しく無いが、その折り上げた千羽目の完成に、生活感情に即した感歎と観照美が出て光った。
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思い満つ |
子と孫とあり冬泉 |
近 藤 恭 代 |
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古歌にも"宝は子に如かず"と謂うに、加えて「孫とあり」の至極当然な一市民の幸福感に過ぎないが、人の情の普遍な讃美の光景に「冬泉」という、命の清洌さを対詠した句の明瞭が佳い。
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水新た |
営みすべて讃歌あり |
藤 本 ひろみ |
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一雫から始まる流れと物の「営みすべて」を、張りと輝きの感情で「讃歌」と概念的に叙したが、溢れる生命力を受けとれる。 |
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