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優秀冠句


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2007年6月






秀  句  鑑  賞
 本誌 『文藝塔』 が創刊されたのは昭和二卯歳七月である。 このことは三月号で書いたので重複は避けるが、 先師は卯歳六月生れなので、 創刊号は先師の誕生月には印刷校了していたと言える。 先師が久佐太郎の名で 「冠句」 選者に登場する縁は、 講談社での先輩編集主任に、 淵田忠良 (号城月) が居たことは欠かせない。 そのいきさつの詳しくはここでは省くが、 号城月が選句者と編集を兼ねての多忙から、 先師に選者の業を委任したからで、 洵にふとした考えに由ってのことだが、 まさしく奇縁というべき話である。 処で、 先師と関わりある菊池寛が先師より、 三歳年長でエトは戊子(つちのえ)で来年干支還りに当たり、 従って生誕一二〇年になる。 菊池は昭和二三年 (一九四八) 没したが、 淵田忠良は昭和二八年に亡くなるが、 講談社に長く係わり 「文芸塔」 の先師を励まされ、 いわば冠句斯界の先駆的恩人ではあった。 城月没後五五回忌になる。
  菊池寛は筆名草田杜太郎、 京大英文科の出 「時事新報」 時代に先師が先輩で知遇。 爾来冠句の道に対するよき理解者だった。 大正十二年 (一九二三) 『文藝春秋』 を創刊。 文壇をリードしていき、 今日の 「芥川賞」 「直木賞」 が新人作家の登龍門になっている。 久佐太郎の旧筆名は、 丘草太郎で菊池の草田杜太郎と相似てい、 先師は冠句選者名で 「草」 のところを、 万葉の詠み仮名から 「久佐」 に当て名したと、 私はいま思いはかっている。 (エピソードに先師のものぐさ癖からともいわれるが、 私は稠の換え字とみる)
  少し私ごとも混じるが昭和四五年 (一九七〇) 十月、 通巻五百号記念特別号が出ている。 その編集に私も加わり特輯を分担しいわゆる 「アンケート集」 の分類・分析グラフ・解説文を纏め書き、 扉頁の表題等を職掌柄作成した。 その扉に写真版で 「創刊號」 「八月號」 が掲載あり、 その題字 『文芸塔』 が現在用いられている、 筆書体と同じであることを識る人は少ないと思うが、 筆書は、 先師久佐太郎自らのものである。 表紙は芭蕉のような広葉樹木が描かれ、 犬が飼主と庭内の樹下で遊ぶ景趣が洵に心和ませる。
  この五百号の特別寄稿者田中周友 (当時顧問) ともう一人加藤茂生 (当時京都新聞常務) の文中、 先師の筆名に触れて昭和三年神戸又新日報の学芸欄に 「冠句」 が、 新聞に載った最初でその選者名が、 はじめ 「杜野久佐太郎」 の予定が、 社告の誤植で 「久佐太郎」 と発表され、 そのままになった記憶があると記している。 その文に "たしか物臭太郎を文字ったものらしい" とある。 先師の本名稠夫に 『茂生も稠夫もシゲオですね。 と笑い合ったこともある』 と述べ、 その交際は先師が 『宝塚国民座の文芸部長でボクも 「歌劇」 や 「タカラヅカ」 の編集を手伝った』 時からとある。 そして 『久佐太郎師は、 時に短詩を寄せられ 「杜野艸太郎」 「森野草太郎」 などのペンネームを使われたこともあった』 と、 述べ戦後 『ボクが京都新聞の編集局長のころ、 不意に訊ねて来られたことから、 文芸論に入り 「冠句欄」 をとの話から、 今の冠句欄のきっかけとなったことはいうまでもない』 と書き綴られている。
  少し長い引用になったがいずれにしろ、 草太郎=久佐太郎の筆名は、 先師がはじめから用い渝らないものだったことが分かる。 『文藝塔』 社創立は既刊 『吾楽』 からの、 出発だが先師はそこに冠句研究誌としての刊行に、 菊池の 『文藝春秋社』 や 『講談社』 とおなじに 「社格」 を示し、 冠句の文学性への志向を籠められ、 『吾楽』 は 「吾楽荘机語」 に留めたと、 八十周年に私は顧みる。
  有名な 「春はあけぼの」 の詞は、 京の東山の情景を言った 「枕草子」 清少納言である。 昔は堂塔の外高い建物が無くて美しい曙があったろうが、 現代は高層階が増え私宅からも、 東山の麗姿が一部しか望めず又、 気象現況も変わり余り見なくなった。 それでも西山の夕映えは良く、 いまも茜を目に楽しむことはできる。 この 「曙す」 では、 響きの句法、 映りの照応手法が着想の句境やイメージ展開において、 句姿をさらに高め境地を深めていく。 そこが前号でも述べた冠題を活かして、 冠題の詩因に帰る冠句の芸術精神に適うことで、 それが 「気侭な日」 にも通じるリアリズムに発想した、 デッサン確かな作句にする上での肝要のコツである。
気侭な日 花に疲れて死を夢む 浅 田 邦 生 ▲戻る
   花=さくらを愛した歌人西行は "……花の下にて春死なむ" と詠み、 願望どおりの有名な歌を遺して、 その望月に命脈を焉えたが、 それはまさしく 「花に憑れた」 上の生涯に生きた達人だ。 この句の 「疲れて死を」 の心懐も、 それに通う境涯観を語ってい、 現実の万朶の美と次元を超えた堪能を 「夢む」 とし余蘊がない。
曙す シンバルはじけ町は市に 川 口 未 知 ▲戻る
   明るく軽快で期待に弾んだ光景を 「曙す」 に、 響き・映した作で、 句の内容は言うまでもなく判り切って、 説明は却って句柄を小さくする。 ただこの 「曙す」 の輝かしく新しい背光に、 力強く躍動する町から市制への発展を詠み捉えた視点と、 音感がいい。
曙す 人の訃時は置き去らず 高 岡 ひろみ ▲戻る
   対照して 「人の訃」 に心しめつけられる作で、 作者の人生実感から出た悲嘆が 「置き去らず」 と唇に衝かせたと思う。 そして刻み続けて来り巡り去る 「時は」 を、 動かぬ事実として作者の記憶に、 確と止めて最后の訣れを告げる顔に曙が映えたといえよう。
気侭な日 藤むらさきの濃き出逢い 片 山 晃 一 ▲戻る
   一読ロマンチックな歌の分野で、 作者の言いぶりにナルシズムな、 女性になぞらえた面を描き出した感がある。 どこか "明星短歌" 的なにおいもし、 そして自分の淡い憧れを濃く出し 「藤むらさきの」 出逢いを語ったのだ。 この 「気侭」 は夢見の方である。
曙す 祈りのことば万物に 樋 口 八重子 ▲戻る
   心身と目に荘厳に映える 「曙す」 に対して、 雄勁曠大な宇宙への畏敬を込めた心象句で、 作者の 「祈りのことば」 の語調も粛として気の張った処がある。 全べてのものへの気と魂を意識している姿に、 作者のイメージを喚起した感動が揺らいで見える。
曙す 蒼い狼宙を跳ぶ 石 田 貴 美 ▲戻る
   これも雄大な心象光景である。 一見してモンゴルの大草原を駆ける 「蒼い狼」 が想像され、 作者はその空想に心の鼓動と躍動を想って感動の語として 「宙を跳ぶ」 とした、 句作の楽しさが伝わってくる。 井上靖の小説の連想もあろうが呼吸(いき)づきが聞こえる。
曙す 淡淡と核燃やす村 鞍 谷 弥 生 ▲戻る
   この 「核燃やす村」 は原子炉発電所で現代社会事情では、 欠かせない施設であり深刻で重い句材の着眼だ。 その白いコンクリート塔壁の景観を 「淡淡と」 捉え視ての、 風光美との明暗を描き出した、 作者の鋭敏でもの侘びしい矛盾感慨が、 大きく示唆深い。
気侭な日 あの引き出しを開けてみる 加 藤 直 子 ▲戻る
   ある日の思いつきでの挙措を語った単純な面だが、 いかにも柔らかでいて情懐の籠った句で、 ふと 「あの」 と叙した女性の心動きが、 他愛ないが心弾んだ 「開けてみる」 に素質のままが出た。
曙す 無傷な朝の始まりぬ 西 村 たみ子 ▲戻る
   この作は朝と曙が重なるが 「無傷な朝の始まりぬ」 の感性把握は、 直観の鋭さを物語っていい。 それは女性の感じやすい眼の働きと見たいからだ。 唯こうした句は技巧に走るといけないが……。

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