この評文が今年始めの稿となるが 『文芸塔』 創刊八十周年の、 意義ある節目を迎えることに感懐極めて重い。 そしてふしぎな歳のめぐりに気付いた。 先師は卯歳の生まれで文芸塔の創刊、 昭和二年がおなじ卯の年なのである。 エトは丁=ヒノトで本年が丁亥という干支の廻り合わせ。 そして堀内雲皷がやはり卯歳生まれなのだ。
日のめぐみうれしからずや夏木立 この 『夏木立』 の冠句最古本の出版が"亥歳"。 その雲皷翁の句碑建立も卯歳だ。 私はその関わりにエトの上だけでない、 深い伝統性を考えさせられた。 冠句は連歌の句立を行うに新しい詩型で成された、 連句のエッセンシャル=圧縮された結晶体で、 上五句=冠題を成(じよう)じ立句とする定型詩であり、 そしてその詩句は古今集に言う"人の心を種として鬼神をも動かす"うたとなる。 従って冠句も遊び事でない日本詩歌の本質へ迫る、 人生句を十七字音に、 はっきり判るイメージに表すことに、 真実精進するそれが文芸の趣味なのだ。
趣味とは心が活き切ることでその味を言い取るのに"骨を削り臓を絞ることに腐心"して、 心身から楽しめ堪能できることを謂う。 雲皷が創始者としてそれを求め、 先師久佐太郎も又同じだ。 つまり 「遊戯的な雑俳意識を脱して、 人生作品へ昇華し旧来の非時代的卑俗性の殻を去り、 文芸家を振向かせる」 作句を説いた。
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走馬燈 |
五十過ぎての早いこと |
久佐太郎 |
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冠翁忌 |
わがあしあとに耳澄ます |
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ソーダ水 |
植物へ海が歩いて来る |
大砂辰一 |
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崖の下 |
鴉が歩くから寒い |
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扨て 「百人一首」 に鎌倉幕府三代将軍源実朝が詠んだ歌首、
世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも
が選集されている。 甥の公暁に暗殺された悲運の青年武人である。 おなじ悲劇的武将に信長を弑した、 明智光秀の連歌が世に遺る。
時は今雨が下しる五月かな を愛宕山神社で連歌師里村紹巴と歌会を催し発句している。 本能寺攻め前日だ。 紹巴は宗祇以来の名人と称され 『式目』 の著も多く、 光秀に応じ
花おつる池の流をせきとめて と第三句した。
ここで連歌を述べることはないが、 その連歌の式法にのっとって、 雲皷が冠句詩型を定めたのであり、 その本質が正風冠句の文芸性と近代芸術精神に触れる、 作句する意義だと述べておこう。 ―題詠の姿をとる創作吟―は、 言葉で印象を作品する人の本性、 つまり人生観や生活感性を支えに冠句として立句することだ。 そしてその一句が人の心に沁みて記憶に留まることを、 精神的支えとして、 冠句を書く一人一人が沈黙から、 真の思考で求め得た一句の詩章に創り、 その楽しみを発表することが、 久佐太郎の詩精神と始祖堀内雲皷の説く、 立句の精華が花開くと言っていい。
ともあれ、 八十周年の記念の今年、 先師の詩精神冠翁の創始の志に帰って、 詩神を近くにしている熱情で冠句をともかく詠むことが、 蕉風的な連句の十七字音化つまり日本詩歌の本流に貫道する、 ―西行や世阿弥、 利休や雪舟―など、 大きく言えばわが民族の精神哲学へ迫る、 一粒の真珠の光り一茎の蓮の美が、 人心に映像されそれがむしろ、 真実の一輪の精華として記憶され、 感銘の思考を促していく、 一句一句の集積となるといえると考える。 冠句は創始以来、 二句一章完結の抒情定型詩だ。 そのポエムはあらゆる物に不偏の瞳を与える。 だから冠句の一句を大切に書こう。
梅も椿も開花が早い今年、 触媒する虫がいるのか不思議だ。 それだけ暖冬といえよう。 椿はともかく梅は中国が故郷だから、 大陸の長江南域を恋しがって暖かく感じると咲き出すのだろうか。 故郷から 「城晴れて」 「隣り合う」 を誰もが想うのか発想が狭かった。 冠句は、 モンタージュ法による象徴詩でその抒情が本質だ。 つまり言い換えれば"発想・展開・結晶"という拡がりを望む。
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