久佐太郎の名を小説中に載せた作家・横溝正史は、 先師より一桁歳若い奇しくも生まれは神戸。 上京して博文館において編集長をし、 誌面を刷新したユニークさで鳴らすも退社後、 文筆生活に専念、 海外作品の紹介するなど、 青年期の先師久佐太郎と通じた処が多い作家である。 横溝正史の処女作は十九歳のときの 「恐ろしき四月馬鹿」 で、 これも現在浅田邦生氏が連載中の 「冠句逍遥」 にある、 先師の小説 「魘はれる者−(略)」 大正三年四月発表とも、 よく肖たモチーフと題名であることも、 両者の文筆者としての側面が、 シンクロ的によく合うふしぎなよしみの深さを私は思う。
先師久佐太郎は、 文壇ジャーナリズムへの理解を説いていて、
追う夢は 冠翁とありふたととせ
京に住み 吉井勇の酔ごこち
白雨過ぎ 構想変えて書き進む
を詠んで (昭和20〜25年作) 作家的詩因での心境を書いている。 横溝正史は昭和五十六年逝くが、 先師がもう十年長命であれば、 『文芸塔』 は活字本に復した発行を見、 その四十周年号を先師のもとで、 私も編集をつとめて冠句文芸の啓けたすがたを、 横溝氏はもとより邦枝さらに土師清二氏ら、 先師は文壇人の理解にも応えられたろうと惜しくおもう。 が現在円山公園に建つ冠句碑は、 田中周友博士との交遊による吟でそれはまた、 頴原博士の協力で成った冠翁句碑とおなじに、 先師の正風冠句確立の結晶記念碑だとも言え、 先師の後を享けた早川桜月二代主幹の功績と共に、 八十周年に至る 『文芸塔』 を、 先師は深く見守っていると信じる。
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