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優秀冠句


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2006年12月






秀  句  鑑  賞
唇を噛む 橡しずかに地に還し 野 口 正 子 ▲戻る
   今号はいわゆる難題といえる「唇を噛む」「劇を観る」であったと思う。こうしたものは印象感慨が、瞼を閉じても泛かび見えその抒情余韻が、上五に打ち帰っていき冠題と反映して、二句一章の詩型を活かす句境が最も意義深い、冠句の詩の世界と言える。この句はことごとしい事を言わず“つるばみ”を詠んで、自然のなかで人生の旅情のようなものを、語間ににじませていていい。蛇足だが昨今は“どんぐり”も山に少なく、熊が人家にまで入ってくるニュースが多い、自然環境に私は臍をかむ嘆になり、ふとあきらめて 鳴かぬ子蝉を木に匐わせ 先師の句を思った。作者が「唇を噛む」心懐には内に籠もったこまやかな愛情が見える。
劇を観る 思秋ばかりの雲がゆく 夏 原   弘 ▲戻る
   作者の視界には限りなく群れ流れる雲があり、その雲の風色に幾重にもさゆらぐ、遠く涯ない地への想いまでが見え、いわば晩年の人間的孤独を、自らの裡に目眼しての感傷と云うより、去る夏の愛惜と来る秋に移り行く、人生哀歓の劇世界を捉えたのだ。句の背景には木立や郷土の家並み、人情等は無いが想像できる。
唇を噛む 絵も瞼にも無き家並み 高 岡 ひろみ ▲戻る
   対照的に郷愁感を心のスケッチ画に重ね、変貌著しく消失していく格差社会の現況を嘆息している。古都京での私の住地も町家がガレージに、閉店舗がいつの間にかマンションに建て替わっていく。作者の審美観にこころ細かい働きがあり、多分に未整理なものに堪えがたい気性の人の、品よい平凡の良さを懐旧している。
劇を観る 昭和史にある或る叫び 東 城 達 彦 ▲戻る
   句のモチーフは真に大きい時代の歴史観を訴えている。昭和史を捉えるには戦後民主性と経済性の面と、前時代の主権と自由が束縛された裏面に光りを向けねばならない。作者は発展期に教職の人。その視座で「叫び」を詠んだ作品の上の出発を識る作だ。因みに明治は遠く・・・・・・を引けば、昭和の風景も擦れてゆくばかり。
劇を観る うつつ白蛇はわが化身 山 口 華 歩 ▲戻る
   蛇は古代から人間の性に畏怖の念をもたらし、将しく情念の象徴に描かれてきた。白い蛇身のふしぎな妖しい美しさに、これは女身の誰もの裡にある、複雑微妙な感情の屈折を映しとった句と云え、解を要しない陶酔印象として言下にした処がおもしろい。
唇を噛む 変化を待ちし政治 樋口 八重子 ▲戻る
   政治の閉塞感とその反面に、変革もいわれる今日の政治に、真っ正面に目をとめ敢えて“まつりごと”(古語はごち)と、廉直な祭祀の意義を表白した処に、理想の高さを示す作者の指摘語の含みの的確さが適っていていい。言い方を踏み込めば政治はそれを託す国の民が賢明であれば啓けてゆく。政治の意を見忘れる勿れ。
唇を噛む 遠ざかる句は落葉して 浅 田 邦 生 ▲戻る
   真の句作への並みなみでない作者の勁い関心が、書き重ねても尽きぬ嘆きで、落葉樹の並木を行く姿の上に語っている。ことばを訳し研く人の審美観が背骨にあり、その道の精神風景である。
劇を観る 9・11からの五年 鈴 木 康 子 ▲戻る
   映像で震撼した9・11だけで世界に通じる、惨劇日の時事詠に評は不必要で、作者を喚起した傷痕表現として受け止めるのみ。
 本社準客員、 筑紫磐井先生 (東京) が角川書店発売に依る 「詩の起源」 の表題で、 詩歌の発生とは何か?と言うテーマで、 現代の古典ともいうべき藤井貞和の古日本文学発生論を精緻に読み解き、 詩の起元論の行方を定型詩学から展望。 三百十一ページに及ぶ立派な研究書を発行された。
  内容としては第一部 「発生論の吟味」、 第二部 「発生論の批判」 第三部 「起源論の解明」 のほか参考として定型詩学入門と題して、 冠句についての記述も有る貴重な書である。


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