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優秀冠句


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2006年11月






秀  句  鑑  賞
雲は秋 母の病状定まらず 竹 尾 真 弓  ▲戻る
   今夏はとりわけ酷暑や集中雨など、気象真に不安定さに加え、世情も心重い事件が日常的に続く折り、病む母を案じる作者の心懐が身につまされる。高齢老病苦から誰も避け得ない境涯性を、流雲日々に象をかえるところに心据えて、定まり難い病状を口吻にしての、肉親の一途な面を 「雲は秋」 の光景に、さりげないが確かに遣る瀬ない表情で垣間見させている。 座五の余哀が切ない。
雲は秋 長らえし兵詩を詠む 奥 山 呼 潮  ▲戻る
   おなじ人生境涯でも作者は一兵卒として生還し、他人のいや友の死を見知ってきた死生観と、かねてから好んでいた句作の世界に、生きつづける限り"詩心"を研いで詠む思いを、 季節の移りへ爽やかな信念のように表白している。作句の心は孤独と哀歓に戦くが、長らえて尚詠むその遊心はどこまでも澄明で、然もはっきり見届けられる楽しみであり、それ故全て託せると言えよう。
雲は秋 鳥けもの等の骨も透く 住 澤 和 美 ▲戻る
   一読骨格だけの標本の裸形を見る、粗々しい威圧感を覚えさせられるが、口に出してよみとるとその比喩の、整った母音表現と的確なデッサン力によって、あたかも健やかな自然な萬象を、作者が描く心象絵画として見えてくる。衝撃手法で裏打ちされた作句で、鳥獣すら無限かわらぬ静かさにあるように思える。冠句の詠法でこのような景を、技巧をこえて詠むのは作者の独壇場だ。
顔すすぐ ここからはみな神の山 川 瀬 正 子  ▲戻る
   山が神体で麗美第一は三輪山の大神神社に尽きる。拝殿だけで社殿が無く山の辺の道をめぐらせて、千古も今も姿は渝らない。がこの句の場景は依代として背景に在る、景域への畏敬を語っていて、住地の国神の森厳さを平明にして雄勁に歓嘆したのだ。とにかく微塵も鎮もる浄さに理屈はいらない。女性の直感的浪漫性で、快い清純な気にふれて人埃を払っている姿の感合がある。
顔すすぐ 再起の葦は揺るぎなく 清 水 竜 一  ▲戻る
   不安限りない心懐を抱きながらも、決断明らかにしたからは葦の角の強さで、あたらしい立ち直りをすべき意志を面に出した句だ。人間の条件を喩える"葦"によせたモチーフは、類型も多いが、生命力を謂う宣言のような表現に、単純な活気が横溢した。
雲は秋 一合増やし米を研ぐ 橋 本 信 水  ▲戻る
   極早稲の新米であろう常より「一合」多く炊く朝、そこに細かな心配りが見え家人か客との、食菜を嗜む仄かな匂いが漂う。その情景は「雲は秋」に付き過ぐが、旧一合の量に和ましさをみる。
顔すすぐ どこか羅漢に似る目鼻 北 川 久 旺  ▲戻る
   羅漢は各地に置かれまた句材によく出る。冠翁由縁の愛宕寺に各人が彫った羅漢が納められ、その風貌は彫刻者に似るらしい。これは逆に作者が石像に似たウィットの智巧的な自戒が愉快だ。
顔すすぐ やはり悪女になりきれず 助 川 助 六  ▲戻る
   女性の人生哀怨を大膽でいて、私小説物語りで描出した処が、手腕で「悪女」のイロニーに、ある人情濃い生活表情がある。
 本社準客員、 筑紫磐井先生 (東京) が角川書店発売に依る 「詩の起源」 の表題で、 詩歌の発生とは何か?と言うテーマで、 現代の古典ともいうべき藤井貞和の古日本文学発生論を精緻に読み解き、 詩の起元論の行方を定型詩学から展望。 三百十一ページに及ぶ立派な研究書を発行された。
  内容としては第一部 「発生論の吟味」、 第二部 「発生論の批判」 第三部 「起源論の解明」 のほか参考として定型詩学入門と題して、 冠句についての記述も有る貴重な書である。


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