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2006年10月
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2006年10月
秀 句 鑑 賞
賑わう夜
花火の余韻は死の香り
浅 田 邦 生
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真夏の夜空を彩り美しくも果敢なく飾る花火は、各地いや全国で広く行われる風物詩でもあり、小説・演劇・詩歌・音楽の題材として多く扱われ、したがって最もポピュラーな行事である。そして線香手花火から打ち上げ技倆も芸術的なまでに、夢幻性な美と豪華さを繰りひろげる仕掛尺玉と多彩である。その耳目を奪い酔わせ大輪が崩れた後に、作者はただに感傷でなくしんいんと鮮儷な哀しみに息嘆したのである。言い換えれば詩因に亡き人への想い、それも戦火で焦土となった余燼を脳裡に浮かべたと云えよう。表現の隠喩に大きな内面のゆらめきの感慨が籠もっている。
花燃ゆる
香水の香に疲れおり
中 川 定 子
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美しい色彩が目覚めるように充満している中で、この句は対照の華やかさに一点の気がかりを嗅ぎとった、予想外の匂いの抵抗感を捉えての軽くやわらかい驚きだ。女のはっとした瞬間の心情に、おなじ女性心理の裏面を言外に嫌悪しながら、夏の陽光が肌理に迄沁む暑熱に疲れた日の場景を出している。女性自身それぞれが好みで身につけている香水が、違うことへの敏感な生理感覚が判る表現で、何か一種生々しい他人の体臭に噎せるものを覚えさせる。普通よくある情景だが作者の美感覚を物語っている。
賑わう夜
家宝の屏風飾り立て
北 原 敏 子
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夏の夜のまつりの賑わいでも洵に風趣な光景である。賑わいなら天神祭・ねぶた・盆踊り等、豪快で華やかな音と灯の熱気溢れたものがあるが、これは京三大祭りの祇園会宵山の場景で、山鉾町の商家に秘蔵されている屏風絵を、店先に展示して通り客に自由に観せる風習に、山鉾の豪華とは別な典雅さがある。いわゆる屏風祭りであり京ならではの奥床しい雰囲気で、関心の眼の保養になる。単純なその情景描写に作者の心も晴れる感嘆が素直。
花燃ゆる
ゴンドラの歌ああ遠し
松 浦 外 郎
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恋せよ乙女 紅き唇褪せぬ間に♪の詞とメロディも懐かしい歌曲を詠んでの青春回顧。かつてあった「歌声喫茶」に集まった若者の愛唱横溢の様子が、あざやかに花燃ゆるイメージに響き合っている。句の叙法に冠句性特有の展開・省略がはたらいて、歌謡の発想にも純朴な明朗さと情熱の昂揚が、今なお胸奥にある追想で口誦したところが、この句の生命と云え「花燃ゆ」を昇華した。
賑わう夜
一人で唄う流行り歌
上 田 國 寛
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これは無雑作でいて剽軽さに頑固な性癖さを、陰翳の少ない風貌にユーモラスに語っている。飽くまで市井の人間味の哀愁を、私小説的に滲ませて賑わう夜の騒ぎを離れ、いささかも頓着せずそれでいて、世評に知れた「流行り歌」を口吟む姿は、作者の別な感情のはけ口を言い廻していると言える。従って歌詞の内容を穿さくしてもはじまらないが、人生の寂寥を噛む主情は見える。
花燃ゆる
ペン捨てきれぬ同世代
稲 葉 恵美子
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現代はいわゆる「メール」交信の世情に、万年筆で互いの消息を伝え合う処は、思慮豊かな情の機微にふれる風交と言えよう。私も実はこの稿を鉛筆で記す。書きぶりに思考の呼吸遣いが綴れ柔軟に文章が進められる。作者のペン書き世代は一字句や行間から読みとる目に、筆致の色までが花実を作すかに映るのだろう。
花燃ゆる
弱音吐くまじ碑に誓う
小 森 冴 子
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この句は感情の襞と思考を一つの時間的経過を併せて語っている。それは旧盆の墓参に際した憶い複雑なものであり、弱音とは人間的悲しい空しさの感傷に結びついてのことである。自戒の感慨の因は単純で無いだろうが「碑に誓う」直喩のことばは、自己をふり返って自分に還る、意識の強さを見せて成功している。
賑わう夜
裏通りには小犬いて
住 澤 和 美
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夜景の賑わいに"小犬"を配してきたことには、作者の近くで偶目した体験に出るのだろう。小犬にも姿態すこぶる様々あるが恐らく愛玩用の品種で、その動物への哀憐が無性に微笑ましい。
本社準客員、 筑紫磐井先生 (東京) が角川書店発売に依る 「詩の起源」 の表題で、 詩歌の発生とは何か?と言うテーマで、 現代の古典ともいうべき藤井貞和の古日本文学発生論を精緻に読み解き、 詩の起元論の行方を定型詩学から展望。 三百十一ページに及ぶ立派な研究書を発行された。
内容としては第一部 「発生論の吟味」、 第二部 「発生論の批判」 第三部 「起源論の解明」 のほか参考として定型詩学入門と題して、 冠句についての記述も有る貴重な書である。
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