冠句を作句する道の本道は、人生の季節・生活の感慨・世情の風景を詠う道で、その道の往き来で遇う機微に、柔らかで句心ゆたかな感受性と、デリカシー(繊美で品位)で詠み描く、人間性を芯にその哀歓の抒情が本質である。そして一句は、起・承・転結の立句の独立吟で全うする。つまり、その道を外れた処の情景・叙事・説明吟は、冠句文芸とはいえないものとなる。これは冠句創始より不易。久佐太郎が冠句始祖を世に声明の、冠翁の忌がこの五月、没年祥月日も明らかで、大系確立しているがここは省く。
冠翁忌 | 痩骨鳴らし起たんす | 久佐太郎 |
冠翁忌 | 天地を洗う風青し | 早川桜月 |
以前両師の時代は、誌上作品は選句発表で久佐太郎選は、採句厳選で掲載発表を真に待ち望んだ。永らく絶えていたが、本年冠翁忌制定より八十三年、没後より二八八年に当たり、例月誌上作品と併せ、祥忌五月に選句掲載とした。大会の献句ではないので、心耳白くして光る作品を推す。
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