冠句文芸の本質は、詩情を詠うことでその良し悪しは、冠題の上五句を活かす、下十二句の詩趣との“間”合いにあるといえる。
文芸芸術世界で“間合い”が、効いてなければ唯ごとの読み下しで、人の琴線に触れていかない。作品の詠みぶりで、まず眼にしてみても、口に乗せてもそこに、
一呼吸の間合いがないと、読み手の心と眼によく分かり難いもので終わる。冠句は、その一句の“ことばつづき”が、心地よくまた目に明らかに見えて判るに尽きる。
走 馬 燈 | 五十すぎての早いこと |
霧 青 く | 奥へ奥へと山法師 |
父と子と | 信じればこそ言葉なく |
雲灼ける | こんな日だった友の爆死は |
水たまり | 余生を燃やす梅雨茜 |
どの作も、一読心に目に浮かび来る詩情が明らかな詠。作者名を記してないが作句者を離れて、生き続けている。作品は詠人の個性と質で生きながら、人の琴線を鳴らす。
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