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優秀冠句




塔  映  山  声
松 尾 明 美

 冠句初興行で元禄初期世に汎(ひろ)まった、五文字附・烏帽子句が、江戸中期後には活況の渦乱れたのは、 点者(選者)宗匠らが作句者傾向に阿(おもね)り、遊戯性に流れ選句点の多寡のみ、腐心してゆき俳諧世界の脇道へ入り、 始祖堀内雲皷の名蹟をすら忘れ去って了うことになる。言い換えれば「雑俳をやる。……あっしの凝ったなあ冠(かむり)づけ」と、 前号でも引用した横溝正史小説文中紹介の、冠句談話にある「久佐太郎先生がいちばんです……」と云われるように、 冠句は久佐太郎選によって「いい句になると発句とかわりやし」ないと評価定まり、さらに文芸復興しまた冠句始祖も明かになる。 従って、現代冠句は久佐太郎の正風提唱で文芸世(ジャ)界(ンル)となり、いま本誌『冠句研究 文藝塔』在ると云える。 そして冠句の本質は、抒情の象徴詩で、叙事の語りものでは無い。始祖が発祥のときから「ことばつづき」と、その句材・内容のありようを述べている。 それは文書に遺るので筆止むが、横溝小説をも見ることも、ここに推す次第。

秋 沿 線  わが薄膝の陽が逃げる 渡 邉 君 子 ▲戻る
 

 旅行でなくとも日常ときに「沿線」利用光景でもいい。落日動き早まり「陽が逃げる」感触に、 女の敏な「薄膝」に当たっていた光が、老いの視覚を去り心寂しい微妙艶。因みに逃げるの俗語を“亙る”の両端へに叙すも一興と。

群れの貌  思えば我らボヘミアン 浅 田 邦 生 ▲戻る
 

 もろもろの集まりの姿に、遊芸民のロマン性の句材新鮮なくも「我ら」と、 遊牧系の斑もつ種を「思」ってユニーク。弥生文化の農に定住性と離れる、思うままな生活への憧れを観ている。 カタカナ語の働きにトリビアルな、市民生活動作を籠めた捉えだ。それに現実場景を合わせみる。

秋 沿 線  母在るごとく野菊咲く 橋 本 信 水 ▲戻る
 

 小説題名との重なりも思うが、若くして亡くした「母在る」追懐に、 花でも「野菊」と野性の総称でも小菊を謂う種で、繊細可憐を讃えて美しい抒情風景句にしている。 秋野を彩るので季重ねをみるも、懐情によく映り利くふしぎ。

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