冠句初興行で元禄初期世に汎(ひろ)まった、五文字附・烏帽子句が、江戸中期後には活況の渦乱れたのは、
点者(選者)宗匠らが作句者傾向に阿(おもね)り、遊戯性に流れ選句点の多寡のみ、腐心してゆき俳諧世界の脇道へ入り、
始祖堀内雲皷の名蹟をすら忘れ去って了うことになる。言い換えれば「雑俳をやる。……あっしの凝ったなあ冠(かむり)づけ」と、
前号でも引用した横溝正史小説文中紹介の、冠句談話にある「久佐太郎先生がいちばんです……」と云われるように、
冠句は久佐太郎選によって「いい句になると発句とかわりやし」ないと評価定まり、さらに文芸復興しまた冠句始祖も明かになる。
従って、現代冠句は久佐太郎の正風提唱で文芸世(ジャ)界(ンル)となり、いま本誌『冠句研究 文藝塔』在ると云える。
そして冠句の本質は、抒情の象徴詩で、叙事の語りものでは無い。始祖が発祥のときから「ことばつづき」と、その句材・内容のありようを述べている。
それは文書に遺るので筆止むが、横溝小説をも見ることも、ここに推す次第。 |