人の世を生きる上で、短い詩句で暮らしの感慨の、寂しさや歓びきびしくて切ない、
感動を冠句することの目的は、自ら一人の好きに尽くすことだが、詠み表した一句がその手を離れ、読む人の目に留まり生き続けて、
作者の名は知らずに遺ることで、句作の冥利は命噴くことを知ろう。
世(よの)間(なか)の 繁き仮廬(ほ)に住み住みて
至らむ国の たづき知らずも (作者不詳)
万葉人も長く生きて更に究めるすばらしさの考えを遺した。千年を超える以前の情が現代にも伝わることばの力を想う。
今日のためと 思ひ標めしあしひきの
峰(み)の上の桜かく咲きにけり 大伴家持
万葉集を編んだ家持がさくらを愛して祈った思い伝わる。朝の山ざくらの美しさに心も晴れる景は今日でも同じだ。
現代はソメイヨシノが好まれるが、山ざくらの景趣絶佳。
ほの白し 散骨の地の冬ざくら 明 美 |