TOP > バックナンバー > 2013年1月
冠句性の風雅精神は、ポリシー・ポエジー・ポテンシャルにあって、つまりは作者の句心のありようにつきる。従って句心の魅力で人の印象に、いつ迄も残る作句が肝要。
穢れない広がりに向ける心の「耳ふたつ」に、屈託の時代が写し込まれその「悲に耐えし」見る、 想いの姿がゆゆしいこと多い響きも伝えている。暮らしの哀切は口数も尠くなり、只管に瞳を凝らして“地上の星”を探して佇つ。
一読して卒然たる光影の「鶏を提げ鶏の前」での挙動。 類型なくはないが、今しがた「殺め」た家畜を食物とする心「翳」歎は、無表情でいて、覆いかぶさる生命の孤愁。
収穫後の田畑を耕す姿の「野良着」が、風景にも「馴染み」佇っている。 実感を打ち出した「元教師」が、生業でないことに就く心懐を、愛着する口吻で洩らして親わしい。
日頃往き慣れた「並木」が、閑寂と「冬」ざれている光景に、心理的陰翳を伴って歩む情が実直な詠嘆さで描出。