京都市中晩夏の風物詩「送り火」は、東山の“大”文字を始めとし「五山」の名で最も人口に膾炙されているが、
実は山は「五つの山」ではなく、松ケ崎の“妙と法”は二つの山に分けて点火され、他の“舟形”“左大文字”
そして最後の火床“鳥居形”と、「六山」の中腹に描かれた、文字と形象が少し間をおいて、点火され精霊を送っている。
その中での「妙」と「法」は、書体が異なり「妙」は行書体、「法」は隷書と筆の書風を替えている。
そして読み順が現代的な、左から右に分ける配置になっていて興味深い。
書での文字分けは嘗ては、右から左に読み書きし、篇額は今も左から右に筆書する。室町期の書としては真に珍しい。
或いは文字は時代を置き“火床”を造ったとも思う。本誌『文芸塔』の題字は、創刊時の書体で『文藝塔』の旧字体を後に用いていくが、
この芸は本来“ウン”で“藝”とは字義も違う。先師が本字体の方を好まれたのは、旧友菊池寛の「文藝春秋」に、通う考えだったかと私は推察。
因みに、本誌発送封筒の字は私が編集時代に、レイアウトし、また指定原稿用紙枡目の割り組み、判型決め原版作成したもの。
千号を超えた機にここに今振り返り記す次第。
筆法に話を戻して、送り火の“法”は線質がいい。私はれい書を好むもので、曼殊院を訪れる愉しみにしている。
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