「文芸塔」誌創刊よりの一千号を樹立して、瞬く間もないかに三ケ月が過ぎた。増刷も行ったが残本も尽き、
今少し増しておけば良かったかと、思い返しつつ先師へ些かの報恩と共に、先人各先輩が継続の灯を燃やした力を謝する。
昭和二十八年十二月号 『文藝塔』 (当時の表題字は本字体で、先師が好まれた筆致書) に、三〇〇号記念冠句大会記が、
特集され桜月師が大会の模様を達意に纏めている。紹介略すが“菊薫る十一月三日”各新聞社放送局協賛、始祖菩提寺上徳寺で盛大に開催。
耕堂司会・雨声開会の辞・久佐師登壇挨拶された。後永続塔員表彰・祝辞・祝電披露、そして宿題・席題 (席題は締切二時) の披講に入り、
久佐師は席題謝選で表彰は、宿席合点入賞で行われた。因みに一位は京極二竜、先師も七位、耕堂十四位、私は、湖月・吟柳に続き十七位。
席題の天位耕堂・地位明美。尚、久佐太郎選の天位は貞で十一位だった。和彦が四位等懐かしい。
この九月、一千号記念大会も塔員挙っての応援を願い、若かった時代とおなじに、冠句の魅力に若返りをと望む。
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