金環蝕の天文現象に、列島が沸いた五月二十一日、関西は快晴で京の私宅で天空のショーを眺めた。
古都京での皆既食は平安末期以来と。家の窓から東山の上空で翳り進むのを、紙にピンホールなどもして見凝めた。
日蝕は少年期の体験も蘇り、ピンホールの現象に日光写真をして、愉しみ遊んだことを想い出していた。
当日常は、町鴉が騒がしいのが、姿も啼き声もなく天体望見の賑わいが広がった。
京都市中は、金環が観られる北限にあり、一部少し環が切れ欠け状態だったが、
太陽が輪になる美の神秘をみた。昔の子供時代のそれは、気持ちが輝いたが今年のは、太陽の大きさと距離感の妙で起きる現象に、
配在の均衡思う。この“間の妙”を冠句に当てるのは突飛だが、二句一章詩の世界で、上五句の冠題と、
下十二句の“微妙の間”の、活かし方で作品の輝きが、死活を分けるのは間違いはない。
句の内容説明とは離れ、内面の深さが照り合い、心の匂いと響きが明らかに見える処を、詠み込むことを望む。
愛しき陽 かがよいの闇金環に 明 美
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