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優秀冠句




塔  映  山  声
松 尾 明 美

 金環蝕の天文現象に、列島が沸いた五月二十一日、関西は快晴で京の私宅で天空のショーを眺めた。 古都京での皆既食は平安末期以来と。家の窓から東山の上空で翳り進むのを、紙にピンホールなどもして見凝めた。 日蝕は少年期の体験も蘇り、ピンホールの現象に日光写真をして、愉しみ遊んだことを想い出していた。 当日常は、町鴉が騒がしいのが、姿も啼き声もなく天体望見の賑わいが広がった。

 京都市中は、金環が観られる北限にあり、一部少し環が切れ欠け状態だったが、 太陽が輪になる美の神秘をみた。昔の子供時代のそれは、気持ちが輝いたが今年のは、太陽の大きさと距離感の妙で起きる現象に、 配在の均衡思う。この“間の妙”を冠句に当てるのは突飛だが、二句一章詩の世界で、上五句の冠題と、 下十二句の“微妙の間”の、活かし方で作品の輝きが、死活を分けるのは間違いはない。 句の内容説明とは離れ、内面の深さが照り合い、心の匂いと響きが明らかに見える処を、詠み込むことを望む。

   愛しき陽 かがよいの闇金環に  明 美

すでに夏 菜園の隅麦も穂に 松 浦 外 郎 ▲戻る
 

 畑作する人さまざまな「菜園」風景で、モチーフよく見受ける物だが、各々が作り合う片「隅」に、 青々揺れる「麦も穂に」の光景美しい。新緑の中で一際鮮やかに見えるのだろう。 熟すと黄褐色になると眩しく嬉しい感じも判る。麦の茎を少し切って、笛にして楽しんだ情景も思われる。 句法が三段切れだが、その微妙の切れに季の流れ浮かぶ。

街 歩 き 放浪の眼となる真晝 住 澤 和 美 ▲戻る
 

 見慣れた外景でありながら、変わりゆく都市の顔を「放浪」者の「眼」線で捉えている。 詠み口は前例もあるが、ここでの「となる」気持ちのありようが、陽光真上の「真晝」の切り取りが、 時間経過を言外にしていて、吃立する高層ビルや、壁面多様な反映を窺え、熟語の働き効く。叙し方が破調のように感じるが、十二音で収めた処手腕。

すでに夏 蔭ゆく女の肌透けて 渡 邉 君 子 ▲戻る
 

 今日の現代社会の日常風景である。四肢伸びやかに衣服の丈より出して、歩みゆく「女の肌」の美を捕らえ、 日の盛りを「蔭ゆく」姿を追い、逆光の中で「透けて」見える感覚を打ち出している。街頭光景では普通のファッション観だが、若々しい姿への羨望も覗いていて、頬緩む。

街 歩 き 時代遅れを恥とせず 大 橋 広 洋 ▲戻る
 

 対して、風俗描写でも傾向に流れぬ、身形は旧く潔い男を「時代遅れを」と、 敢えて強く言い張る「恥とせず」の気概で出している。アナログからデジタル化の、暮らしのすがたに流行を余り取り入れない性質への賛同がみえる。 そして内容に歌謡詞の似通いを感じるが、風姿考え別だろう。

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