桃と桜の花が一斉に開く四月となって、漸く列島に春の色が匂い出した。
いろいろ様々あっても誰しも、心待つ光景で歓びと哀しみ交じえ、人は季節の復活を楽しむ。
今年の暦では、四月八日が日曜日で春満月の翌日、京都も桜満開と「花まつり」の日。つまり釈迦の灌仏会であり、
そして「復活祭」が重なり寺院・教会が賑わい、加えて紫野の今宮神社の“やすらい祭”と、一日晴天好日となった。当日私は句会があり、集まった句友と一刻作句に浸った。
キリストの復活は、春分と満月が係わる日曜日となっているが、釈迦の灌仏会は八日であって曜日と係わらない。
従って、今年同じ日そして満月との巡り合わせで、日曜日共に行われた一寸珍しい、暦日合同の催しとはなった。
桃ひらく |
びっしり未来指吸う子 |
保 夫 |
朝ざくら |
何を祈るにあらねども |
妙 子 |
花しずく |
子をまた叱る愛なき日 |
松 風 |
花の中 |
寝転べば空降りてくる |
空 歩 |
花の鬱 |
心の疲れ積み重ね |
広 洋 |
記憶の窓に映り見えた作を掲げてみた。各々作者が作句に取り組み表す、姿勢や心の視線が窺い見えてくる。代表句と言えるものはこの他にあるが、特色が打ち出ている。
筆先が跳ぶが、冠句は二句照応の詩型上“立ちすがた”が肝要だ。
つまり、句の事柄が説明に流れず、句境の風情がくっきりと、浮かび立って印象と詩趣が見えることだ。
ことばで聞いても、句を一見しても立ち上がるのがいい。仏像の姿にたとえると慎み無いが、法隆寺百済観音像は超絶して、
芭蕉の句の“古き仏たち”の中でも、麗姿丈高くスラリと美しい。先年、仏のルーブル美術館に立って、その唯一さを光輝して、
その“優美な立ち姿”がパリの市民を、感歎の目ざしにさせ美の殿堂での、魅力を示した。かつては客仏としての宝蔵だったが、
今は法隆寺一山の地に、百済観音堂が落慶され伸びやかで、縹渺と在られる。
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