年改まって、明るく穏やかで暮らしよい日々、多いことを願っていたが、冷え厳しく積雪多い一月となった。
京都市中は雪害無いが、全国各地で記録的な大雪に、除雪作業での事故を案じる。とりわけ東日本大震災による被害地の生活を思い遣ると、
この雪が春三月以降吉兆の豊かさをもたらす、瑞(しるし)であって欲しいと切願して止まない。暦はこれから大寒に入り寒さ増すのだが、
そうした中、今年に入っての太陽光線が、昨年より明るいルクスであることに気づいて、「春遠からじ」を祈っている。
例年は、二月立春過ぎての半ば頃からの、太陽輝度の感じが今年は一月から生じている。
考え巡らすと、冬満月が九日・十日の朝方入月となり、日の出の暁雲美しく眺められた。万葉の人麻呂歌とおなじ光景といえる。
この本誌は「三月号」で、その頃からは天文現象はそれとは逆の、入日のときに月が東空に昇ってくる光景であろう。
今、この稿を走らせている頃は上弦月が、昼の月として私家の南側窓に、雲間から覗いて見えて、寒いが穏やかでいい。
京都は、初弘法・初天神・初不動などあり賑わう。植木で山茶花がまだ残り、椿が莟を赧く見せ心惹かせる。
冬満月 |
川蛇曲して湖に入る |
桜 月 |
齢ふと |
玻璃戸叩くは飛雪のみ |
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相寄りて |
古雛なれど恙なし |
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久佐太郎忌 |
歳月惜しみなく逝けり |
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三月は桜月忌で、師の晩年の作を少し掲げることとした。本年三十四回忌となり、
右の「歳月惜しみなく逝けり」と将しく心境重なる想いである。桜月師は、絵もよくされ、
作品も従って色紙・短冊に映り合い、眼にも見えて佳い。師の文章に『冠題をよくがん味して、
そこから対象となる句材をしっかりと捉え、適切なことばを選んでむだなく表現する』と述べ、
十七字冠句の『一字一字が句の生命』で『どの一字も十七字を背負っている一字である』と、思うべきと説かれ、
句の大切は自分の大切になると書かれた。つまり、冠題に向かう大切を忘れてはならないと言うことで、
冠題を粗略にしては自分の力を弱め捨てているのだ。選句眼も同じで、作品に対して微妙、繊細、直感、把握、
をしっかり対象句に据え、むだの無い心で燃焼するところにある。通俗・類型を洗い冠句の象徴・感動を享けとることが、見えない生きたこころ働きによる鑑賞といえる。
以前にも書いたが、自分の句は「二度は必ず見ている」筈で、それがまた人情なのである。その単純な感情の初心を失わずに、その習いを作句でも選眼でも深めて欲しい。
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