皆既月蝕のあった昨十二月、その月蝕前後から冷え込む気象になり、冬月の名称「氷輪」に相応しい夜の情景となった。
月光はいう迄もなく「オリオンと金星」が宵闇に輝き、下弦月をいざなうように天空を移る光景が、毎夜美しく眺められるのが、
一つの愉しみな天象景とはなった。そして暁方頃には「朝月」を、ふと目覚めのときに西窓の上に見とめ、朝冷えを少しの間忘れさせられる日が続いた。
その冷え込みで遅れていた"もみじ"が、彩づきを良くして"冬紅葉"として、見頃を迎え漸く粧う景に、ふと、
冬もみじ 中年の虚につかれ佇つ 辰 一
の作品を憶い起こす。「冬紅葉」は"立冬"以降にも見られる"もみじ"を謂う。本来"もみじ"は秋季のものであり、
厳格には立冬までのもの。処が今年のように冬季になって、紅葉を見る時候になると季語として、分類ができにくくなると言える。
万葉集ではもみじを「黄葉」と記し、平安時代になり「紅葉」と書くこととなった経緯からも、もみじは秋季だけでなく、冬の部にも通じる成語になるかも知れず、自然の言葉もいつか渝っていくとも思う。
暁と夜鳥鳴けど この山上の
木末のの上は いまだ静けし (巻七)
かつては、鴉が明け方前に鳴き"暁けガラス"とか"夜烏"の名があったが、
今日では聞かれなくなり用い無くなっている。夜明けの言葉で「かはたれ」が昔あったが、現代は夕方の「たそがれ」の片方しか、
言葉として使用していない。文字も「黄昏」でことばの内容が違ってきている。
黄昏るる その一ときを噛みしめる 久佐太郎
水 時 計 かわたれの顔覚え得ず 明 美
先師の「黄昏るる」は昭和六年の作品、私の「水時計」は昭和六十一年の句。
滋賀の近江神宮に"漏刻"計が設置されている。後に、飛鳥にも石組みの落差を利用の水路が発掘、精巧な庭園と宮居と見られる、歴史遺構と判った。
因みに先師には、前年昭和五年にも「黄昏るる」が遺る。近江に都を築いた中大兄(天智帝)は、母斉明女帝を佐け当時の先進的技術にも開明で、
時刻を定め「時の記念日」として今に伝わる。山科御陵に「日時計」碑が建ち、陵前にその遺業を讃えている。定家の『百人一首』は天智の歌
"秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ"
を第一番目に撰り、和歌が盛んになるその源も、国の礎である農の慈しみも、天智からの相応しい御製と、百首の巻頭に据えた選歌のこころが現代にも判る。
文芸で巻頭の作は、最も重きにおかれることは言うまでもなく、冠句においても句格・内容・表現に亘り、いい作でありまた作者も、目耳心を輝かせて詠むことを希がう。
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