前号で、天地の動き天然の計らいで生じる、被災のことを書いたばかりだが、タイ国で流域の大雨量による市中の冠水、
トルコでも地震災害が発生して、今年は何処の国でも災害がいつあるか知れ無い感にさせられ、心中が重い。気候も十月なのに木枯らしが吹き、一気に早くも冬化粧に。報道も暗いものが多く、明るい話題があればいいと思う。
そこで「十月号」で紹介した、先師の『宝塚国民座』時代の公演演目の一つを、私の興味で捉えた処を少し書いてみたい。先師が「編輯に從事してモウ一年になる」と、
後記にされた、昭和五年の時の演目で、喜劇の一幕ものに中野實作『二等寝臺車』がある。ストーリー内容は省くが、ユーモア作家だった中野實の名が、思い起こされて愉快にさせられる。
演出監督・坪井正直、舞台装置・野島一郎、キャストに「青年紳士」「新妻」「列車ボーイ」「車掌」「市会議員」「その妻」他。この配役名だけで列車内の物語が、自由に想像でき「寝台列車」が、
旅行の花形であった、世相の背景とともに、昨今消え去った夜行列車のあの独特の、走行音と車窓内外の光景が私にも懐かしく判る。
勿論、私が寝台車を体験したのは、この公演劇より十年以上後の、父との一緒の幼年だが、夜間停まらず走行することが、まことにふしぎな思いをし子供心に覚えている。
テレビ映画であった「探偵ポアロ」の、オリエント特急寝台の豪華さは別格だが、中野實の『二等寝台車』は座席向かい合う形式の車輌で、個室寝台に次ぐ上級だろう。
この公演には、舞踊劇が組まれ「尾上菊藏・尾上芙雀特別加入」と銘打ち、『三社祭』と『娘道成寺』を最終演目に置かれて、「文藝部 久佐太郎 同 久保志方」とある。
処で中野實作は「舞臺」誌所載だが、この他の誌名には、「帝劇」「歌舞伎」「明治座筋書」少し略すが「新橋演舞場」「中座」「寶塚舞臺新聲」「文藝塔」「草詩」等が、
「寄贈雜誌御禮」に載り、文芸塔誌がここ「宝塚国民座文芸部」脚本集書架に、所収されていたことが見えてくる。
文芸塔は昭和二年の創刊だから、この時は五十号間近く重ねるときでもあったろう。宝塚國民座誌は創刊は少し早い、大正十五年であったが通巻では少し遅れての刊行だ。
それは「脚本解説」誌でもあったから、上演する際の月による演目内容によって、ずれが出来ていたのであろう。話題を戻して「尾上菊藏芙雀」特別加入を、
先師は後記で◇歌舞伎界の新人菊蔵芙雀両氏を迎へての本月公演は如何です。例によりファン諸君の御批評御指導を望む。◇御多忙に不拘「僕の處女上演物語」御投稿下さった諸家各位に御禮申上げます。
本誌の呼物として順次連載しますから御期待下さい◇ と記し、同誌は投稿も載せ私は興味深い。
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