文芸塔

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優秀冠句




塔  映  山  声
松 尾 明 美

 前号で述べた『寶塚國民座』の公演は、約一ケ月近く上演。初日より二十一日間「中劇場」で、毎夕五時半開演して、日曜と祭日には正午・五時半の二回興行が定席であった。演目は第一〜第四部構成で、 一幕三場と一幕物などを演し物をして、先師久佐太郎はその「文藝部」で、久佐太郎一同、久保志方と連名。舞台監督は衣田龍生、照明(当時は"配光"で)神保道臣、 伴奏宝塚管弦楽団が奏した。余り内容に触れられないが(著作物の引用上)、私が少年の頃そのキャラクターに、憧れた「孫悟空」が劇作家金子洋文にあり、先述の衣田龍生が『やりたい脚本』と挙げ、 その金子洋文作の内『飛ぶ唄』を劇場上演し、「久佐太郎が「飛ぶ唄」上演に就いて」と題して、解説文を編輯子を兼ねて書いている。但し演出は衣田龍生でなく、坪内士行による物だが、 舞台監督として衣田が興行注目された。

 「この劇の時代は、恰度維新の過渡期になってゐて、表面は文明開化、四民平等の世でありながら、 徳川の鎖から漸く解き放たれたばかりの人民達は、新たに薩長藩閥の柵に苦しんでゐる。」と、久佐太郎はその筋書説明の筆を起こしていく。そして「この劇の主人公遠山のこの強い叫びは、 とりも直さず原作者金子洋文氏のマイクロフォンを勤めてゐるわけだが、そしてこれは現在の社會生活をもかなり諷刺したもので、そこにこの劇の作者としての意圖は盡されてあると思ふのだが、 さうしたゆはゆる、左翼的の色調が眞向上段から振り翳されてゐないところに氏の劇作家的手腕が窺はれる。」と、脚本の読みの目の行き届いた紹介解説の筆で、 先師は綴っていきこの作が始め「澤田のために書かれ、彼の急死によって少時く上演の機を有たなかったこの脚本が曩に八百藏一座により、(略)八月端なくも壽三郎の新劇團と、 わが寶塚國民座とに上演されるに至ったに見ても如何に好劇家の注目に價するかゞ判るだろう。」と期待に満ちた心の文を載せている。 その頃昭和五年八月、『文芸塔』も昭和二年の創刊以来、続刊されており先師の筆致は、作句選評眼と劇作紹介批評を併せもった、作家と編集者の資質ひろやかな活動をしていたことがよく判る。

 金子洋文作には「詩人と洗濯屋」マッカレー原作「地下鐵サム」等、面白味と世相風俗に歌やロマンスを配して、時代を諷した観劇の興趣多い、楽しさがあったようだ。 昭和の世でも事変戦争拡がるまでの、モダンとロマンの色濃い豊かさで、人の世も彩り多く生活にも潤いが見られた。

 冠句界も作句人口が全国に広がっていったときである。先師は、この数年後に「冠翁墓碑」発見に至っていく。それはそれとして、冠句に新しい発見展開をと望む次第。

星も燃え 連峰黒々威を正す 滝 沢 茂 樹 ▲戻る
 

 絵画性視覚に奥行き深い境地に加え、句格高い描写で一句として、 叙景の平句から独立して立ち得る気風がある。澄んだ展開に「黒々威を正す、 山容が眼底に到るかに詠み込まれている。その「連峰」が普通のスケッチでない把握で、浮かび迫って来る。写実の景観は類似性なくもないが、蒼古にして重厚な筆色いい。

人 並 ぶ 寂しさの果て回す独楽 栃 尾 恵 羊 ▲戻る
 

 現代は新機種ゲームや液晶携帯機のアソビに、興感する傾向に或る「寂しさ」を覚えている。 その心境の微妙な揺れ「の果て回す独楽」の景姿が、作者を投影してのもので、玩具として古びながら、 尚捨て難い景趣の俤を濃く打ち出した。昔は正月の遊具だが今日では、飾り置物として趣ある。軽い心でいて弾みもみる。

星も燃え 人は大地に帰すものを 杉 本 順 保 ▲戻る
 

 東日本大震災へ心添わしてと云えば単純過ぎよう。が「人は大地に帰すもの」との叙述に、 津波に攫われた哀惜が伝わり、天国の星に成じ得ぬ被災者への悲痛感が、結語助詞「を」の歎きに籠もって涙腺を溢らす。一見理詰めも静かな悼み心を映発させた。

人 並 ぶ 秋の言葉を持ち寄りて 三 村 昌 也 ▲戻る
 

 柔らかな詠みぶりに「秋の言葉」という、清涼な感触のひびきを出そうとしている。 季の言葉としてはこなれて無い処あるが、その"映り匂い"に私小説的な気分を揺曳した。初秋の時候の漂いを「持ち寄りて」に、絡み合わせ言い下した作者独特な感覚。

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