文芸塔

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優秀冠句




塔  映  山  声
松 尾 明 美

 前七月号で、京都支部誌『京しをり』のことに触れたが同誌は、早川櫻月主宰発行、表紙絵も画かれていた。「桜月忌」大会の、真淨院客殿床間で軸装の水彩画が、寺院の心遣いで掛けられているのを、 見ている人多いかと思う。あの画幅は昭和二十八年十一月号表紙掲載を、後年に"峡の秋 光輪ひろげひとり釣る"の作を賛し、その句が舞鶴に在る氏の冠句碑として建つことになる。 その十一月号は"精香・清・織姫・青二"のメンバーに、新しく妙子・正子女史が参加し「投句所」を受け持った。因みにその前年以前は、久丸が孔版、印刷を麗水、夢風編集の手製の誌。

 若い作家輩出し、句会も毎月二日、十四日、二十日と各夕六時より行い、とりわけ二十日は『研究会』で自由吟・廻吟も、先師の懇切な句評に耕堂宅での句会が活気した。私が編集に加わったのは少し後で、 続いて直情も編集に参加し、誌面や論壇も充実し吟行会も増した支部誌となった。先師は寄稿で『自分の句を作ることだ、京しをりに就いては、冠句の翁菩提寺のあるわが京都の京しをり、と云ふ誇りと、 責任をしっかりもって、全冠壇の目標になるように進んで貰いたい』と記された。そうしたことを踏まえ例月の句会で、歳末に自由吟を作句したりしている。

 処で冠句は"間"を活かす短詩型文芸であるが、冠句詩型の冠題と附句の間に、空白をつくる句形発表は、京しをりでは、昭和二十九年の三月号から、空間をとっている。

  心満つ あまりに空が青いから 山岡 智彦
  心満つ 今朝空席のなき授業 美濃部 貞
  心満つ 甕にも明日の水すみて 松尾 明美
  心満つ 地に芽生うものすべて春 久保 妙子

 扉巻頭吟よりの一部作品だが、当時の作風が伝わる。下句は均等揃いで無いが、全体では統一に近い印刷である。孔版による書字で表紙は、四、五色使った愉しい絵柄だ。編集後記は青二、 「二月号から」放浪子(織姫)が書いており、「連作や自由吟」「随想」アンケートあり多彩だ。また「京都冠壇」では、過去一年間の句会及び新聞冠壇活躍者に対し、京都新聞社賞が贈呈山田学芸部長が臨席、 挨拶と一人一人に賞状と賞牌の授与があった。授賞者は下の

 久保妙子、西沢青二、松尾織姫、松尾明美、美濃部貞
 山内正子 の六人である。各々は一文を載せている。

 尚、その頃『冠翁忌冠句大会』は、献句を久佐太郎謹選宿題・席題天位に久佐師始め同人揮毫になる記念品がありそして、文芸塔社と京都支部が共催の大会催行であった。 本年先師の生誕百二十年に当たるときに重く顧みる次第。

祈 る 鐘 鳩鳴き病父の爪透ける 三 村 昌 也 ▲戻る
 

 句立の詠みは追悼のうら哀しい「鳩鳴き」の景で、愛しみの心を映じている。然し「爪透ける」は或る患の徴候が「病父」の生身の現実として、眼前に察した時の病衰への感情である処に、肉親ゆえの切なさに力脱けた気持ちと、意識の鱗の光をみた記憶を語っていよう。その抑えた思いが判る。作品には"ちち"のルビを付してあるが、病父への感慨が伝わるので句評で省いてみた。

濡れる窓 今語らねば書かざれば 川 口 未 知 ▲戻る
 

 一見して、何か切迫した憂慮感に衝き動かされた、心境吐露で短句型で詠み切れぬことを、強調籠めて「書かざれば」と哀歎している。発想が口語的な大掴みで具象が無いが、災害地へ心寄せての嘆傷を打ち出したのだ。実情が著しいだけに幻影化しそうな想いを憂い、敢えて「今」と非常に強い主情で嘆じたと言える。

祈 る 鐘 最晩年の薄あかり 住 澤 和 美 ▲戻る
 

 これは自身の裡の果敢無い思いを、読み取り「薄あかり」にふと「最晩年の」姿を見、定かならぬ人の寿命の灯の点じようを見い出したと謂えよう。春愁の気の陰微さに感じ受けた余命観でありながら、淡々とした心情描写で叙していて逆に仄々さを見る。

濡れる窓 傷つく夢の走馬燈 浅 田 邦 生 ▲戻る
 

 対して、病患の熱の中での痛みを想い返した「走馬燈」の明かりで、意識鮮やかでいて生々しい「傷つく夢」を追っている感情である。言う迄も無く句の実は"人生人かん"の運びに、無心で生きる難しさの嘆で、悔悟や孤独を美しさに換えて詠んだものだ。

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