本誌「四月号」で紹介した、『文芸塔叢書、第四巻・第五巻』は初心者はもとより冠句選者に対し、「少くとも如上の知識は修めておかねばならぬ。叙述に当っては冒頭に述べた如く、
新たにこの道に志さんとする人達にも解り易く、興味をもって研究してもらえるように意を注いだつもりである。時代は大きく転回した」と記、当時(昭和二十八・九年刊行)
「夥しい新作家群の抬頭と冠句に対する正しい再認識の希求であり、旺盛なその知識的貪慾である。本叢書はこれからの良識を求むる切実な要請に応え、わが社の全機能をあげてこれが編纂に従事した。」
と先師は認めた。
そして執筆者は、早川桜月、中野稽雪、京極二竜、松岡耕堂、小村彩音、斉藤治、坂本雨聲、田中曉人、上野暎斉氏である。
因みに桜月氏は京都支部長、支部誌「京しをり」同人、読売冠句選者。稽雪氏「京しをり」同人医博、小澤芦庵研究著者。二竜・耕堂氏「京しをり」同人、彩音氏「神戸港」同人、
斉藤氏は客員文学演劇評論家。雨聲氏大阪支部顧問。曉人氏は顧問で京大教授日本学術会議員、法博。暎斉氏洛南支部長。納所校長であった。久佐太郎師は京都新聞冠句選者、放送冠句も行っての編纂書だ。
叢書刊行「世評要覧」には、先師母校早稲田大学文博・坪内博士記念演劇博物館長、河竹繁俊氏。京都女子大学国文学部長、阪倉篤太郎氏。京都大学国文学科助教授、阪倉篤義氏。
時代小説作家、土師清二氏。神戸市立図書館司書、石川棄郎氏等の書評感が載せられている。とりわけ早大の河竹氏が同じ学窓育ちとして、先師の苦心に触れ大学と博物館用に全冊申込みされ、目を惹く。
そして「もはやあれ以上調べられないでしょうね。感服しました。それにて今日までの誤りも正して、新見を発表され」と、刊行の貴重さ床しさ寔に結構と書きおくられている。又、石川氏は「創始者ならではの、
あの家言(しっかり腰を据えた)を見せてもらって」前句附が俳諧の附句としての発生でないことが、氷解したと認され「先生の前言の正当さを」受けとめられた。その内容をここで私が述べても意味ないので省くが、
つまり「連哥に句立と云うことあり、これをとり俳諧の句立」とし、先師の「題詠の姿をとる創作吟」の明言と、「俳諧のエッセンシャル」の明晰だ。
それ故に『近代冠句講話上・下=第四巻・第五巻』で、明治、大正、昭和に亘る史的展開と作品・評論・技法の粋を蒐めたもの−全巻を通じて冠句の起源・歴史・作品の変遷等探究、
よって今後の新しい冠句のあり方を意図した斯界空前の壮挙と書かれた。
第五巻は「冠句の俳諧性を追求して連句に及び、そこから新しい形式の連作に」ついて説いている中で、先師が「冠題に対する心構へ、態度如何がまず冠句になるかならぬかの先決問題にされて来るのである」
と述べたのを、先述の斉藤治氏が引用し、冠句の自立性から「内意的なモチーヴとしての冠題にデリケートな」注意する必要を語っている。つまり作句態度の大切さの指摘だ。
冒頭に書いた「初心者はもとより冠句選者」に向けての著書で、一行で謂えば、初心の素養を深め冠句性発揚への指導書である。
私は当時『京しをり』誌の編集を句友としていた。感慨深い。
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