今秋のもみじは美しく鮮やかであるようだ。京都自慢になるがその彩りは、古都の品格にふさわしく照り映え心愉しまされる。とりわけ東山の永観堂や真如堂などの名所はまさに絵画である。
月あらで 猿(ましら)を聴けり落葉しきりに 久佐 太郎
落葉しきり 木移る猿(ましら)ちらと見き 久佐 太郎
先師が洛東法然院の総門に連なる、森径に住まわれた吾楽荘の吟で、鬱蒼として昼なお暗い窓向こうの森から「この辺はよく降りて来るんですよ」と人の言う奇異なるままに詠まれたものだ。
昭和二十四年の当時は、野兎なども居たのを少年期だった私も、目にしたのを憶い出す。猪威しが風流ではなく役立っていた頃だ。処が、今年は楢枯れが多い影響か各地で、熊が町へ出没して人を襲い傷つける事件を聞き、環境異常の現れが冬眠支度の熊の生活行動に及び、今夏の猛暑続きが動植物にも大きく係わっているをことを思い知らされたが、それが秋の楓にとっては、色づきを良くしての" もみじ葉"になっていて、自然風景の美に心いささか複雑であるが、 その今の景観や生活感情の美や哀歓を、冠句に詠むには"題詠の姿をとる創作吟"として、自由発題に因っての作句が将しく、最もな詩因詩型に叶うことに考えに至っていく。
大銀杏 にぎりこぶしの力無き 久佐 太郎
大銀杏 おさなき夢に通ふらむ 久佐 太郎
羨やまれ すゞなりの柿抱く土塀 早川 桜月
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