秀 句 鑑 賞 |
五月号で先師が『冠翁忌』と定めた昭和九年の作を載せたが、
冠翁忌五月なりけり家の風 この句の"家の風"は現存する堀内雲皷書の『夏木立』『西国船』に次ぐ、撰集『家の風』の書題を先師が詠み入れたもので、京大図書館収蔵の古本の一書でもあって、そのことを昭和三十四年当時京大図書館長を兼務され、先師の福知山疎開以来の知友、田中周友京大法学部教授本社文芸塔顧問で、後に円山公園に建つ久佐太郎冠句碑の"忘れ傘"冠句碑の筆書者で、号暁人"花の雲 さそわれて来し吾楽荘"の作が、先師と感懐興じ合って『蒼天』句集に詠み遺してある。『家の風』の京大古本について田中周友氏が、在庫本の内容の一端を文芸塔誌上に寄稿した「序 壬生の猿者が茄子売も春やむかしの花の春うつり変りて、夏木立、赤烏帽子、西国船なん世に汐じみて古さるる……略、我ヤツガレが家の風なればありのままいへ」洛東千観松片陰 雲皷" と、記された中の『赤烏帽子』がいまも未見なことと、私が壬生現住のいま関心起きその書によって、『夏木立』や『西国船』との対応が判り、冠句史が深まろうと考える。ともあれ"烏帽子付"が連歌体の句立として興りながら、創始者以降の点者の撰句観が渝り"笠付"の流行盛運に溺れ、ことばの趣向満担になって、遂に俳諧圧縮の志向から離れていって、作者も選者も句心の誠を深める道を怠ったことを省みるべきである。
冠題は決して与えられる"課題"ではない。句型式はそんな狭少な発想契機の内容を示すのでない。積極的な創意への志を結晶する"核心"なのだ。創始者の文芸心を忘れてならないと思う。
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陽に歌う |
水なみなみと早苗満つ |
高 岡 ひろみ |
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句材は新しみないが今年は気象・気温・降雨も変調で、この景の「水なみなみと」の場景に、山村地の「早苗」作りの労を考え自然の豊かさと、対象する冷厳な風土性に無関心になれずに「満つ」光景を祈る感で受けた。それが外ならぬ作者の情こころであろう。
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白い壁 |
大地を割りし大根芽 |
前 田 八 州 |
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これも状況は刮目する描写は無いが「大根芽」の、ひょろ弱さを眼にし哀れでいて勁い姿に、見逃され過ぎる処を感懐込め「大地を割りし」と、細やかな写生観の無性な歎に生命の機微を見、対照して「白い壁」との心憎い違いを映し出した目線が人間味。
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陽に歌う |
我がテノールは湖を越ゆ |
大 橋 広 洋 |
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類想無くもないが「テノールは湖を越ゆ」が、青春賛歌として「我が」声域と湖心の透明性を語っていて、愛郷の憶いが響く。私はカルーソーを想いボーイ・ソプラノ期が、心寄切らされる。
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白い壁 |
モデルになっている少女 |
藤 森 佐津子 |
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衣裳モード誌の撮影「モデル」を描いて、季節感と背景美しい「白い壁」が映ゆ観光地が思い浮かぶ。人物が「少女」で「なっている」の目線遣いに、何とない軽い羨みと憧れがちらと出た。 |
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