文芸塔

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優秀冠句






秀  句  鑑  賞

 「国民文化祭二〇一一年京都府開催」要項の一部を、前々号で発表したが、この日本文化フェスティバル・今年の開催県は、岡山県で第二十五回目に当たり、既に文芸祭の募集が行われている。"あっ晴れ おかやま"の愛称どおり、意義大きい成果を期待しその晴れ舞台回廊が、来年「文化に染まる京都の秋、文化の感動京都国文祭」へと繋がり"冠句が発する輝きの輪を拡げる心"の集いに、高まってゆく「文化発心・千年絵巻」の結実をと願う。
  扨てその岡山県瀬戸内海の島を舞台にした、横溝正史の推理小説『獄門島』がある。かつて角川書店・文庫企画でTV放映された、連続殺人事件もののシリーズでも話題になり、東宝映画化もあった『犬神家の一族』で、ボサボサ髪の頭、和服にセルの袴という風采の青年探偵、金田一耕助の推理論と勘働きにより、事件が解決してゆくドラマで、観た人もあると思う中の一作である。獄門島は、備中笠岡港から南へ七里、瀬戸内海のほぼなかほど、ちょうど岡山県と広島県と香川県の三つの県境にあたっている、周囲二里ばかりの小島へ向かう三十五トンの船に、主人公が乗り合わしているところから、小説のストーリーが展開する。そして殺人事件に大きく関わっていくが、物語に純日本的"俳諧と殺人の結びつけの妙味は前人未踏の創意(江戸川乱歩)"の小説だが、その作中に冠句の久佐太郎先生が話題として語られて出てくる。『……あっしの凝ったな冠づけ、冠句というやつですね。連中なんぞつくって、久佐太郎先生に点をつけてもらったりしたもんでさ。冠句じゃなんたって久佐太郎先生がいちばんですからね。……ひところは冠句の雑誌だけでも、十幾つと出ていたもんでさ』と。
  作家横溝氏は戦中岡山県へ疎開して、瀬戸内海を舞台にした作品が念願だった。氏は神戸生まれ久佐太郎師より十一歳下、博文館で編集長を務めてもいる。氏は小説の中で先師の冠句性に触れ『雑俳雑俳とひとくちにいますが、あっしなんかがやったのは川柳みたいにふざけたもんじゃねぇ。ごくしんみりしたもんで、いい句になると発句とかわりゃしませんや』と、一べつでない見方で、俳諧発句に違わないのが冠句だと、作中人物に言わせている。
  この様に小説で語られた先師久佐太郎の正風冠句は、文学のジャンルにもアピールすることを、目指しているものであった。それは久佐太郎師の冠句選の批評力と鑑賞眼が、作者の句に対して遊心で鷹揚な筆致が、洵に的確で楽しかったことを示している。選句力と批評が懐深く味わい沁むものでないと、凡庸な面白味の付句だけになる。冠句性は抒情豊かで描写力が読み手の人心に、明らかに句境銹びず伝わって残るものを書くことにつきよう。

君ならば 何ささぐらん謝肉祭   久佐太郎

花しぐれ 夜目にも忘れ傘の句碑   桜  月

優し素手 若草摘みに染めもして 松 浦 外 郎 ▲戻る
 

 春野での「若草摘み」で柔らかく匂いも嫩い感じが伝わる。作者の句風体としては珍らしく"万葉調や百人一首"を思わせる。が農菜園を怠らない平生での実像が「染めもして」に働いている。萌え出た新草に跼み匂い滴るばかりの情景が、作者の眼遣い背を吹き撫でる季節の風を、敏感に捉えた冠句性の映発が将に快い。

新空路 一番星を連れてくる 赤 島 よし枝 ▲戻る
 

 春分ごろは"オリオン星座"が夕刻に望めるが、この「一番星」は木星の景だろう。春星は潤んでどこか艶であり淡く眼に触れ、何か思慕の情を誘うものがある。この「連れてくる」を深読みしない方がいいが、悠久な星空を航ゆく旅情が素直に横溢している。

優し素手 白つめ草を子らが輪に 野 口 正 子 ▲戻る
 

 童謡的な情景と用語のリズムを受けとればいい。その天真な姿と「白つめ草を」と叙した、これも春の花壇に多く見る"芝桜"の細かい花の印象と、単純だが子等と遊ぶ主情がうまく描けている。少し物足りない感もあるが屈託ない童心の軽い興で効いた。

新空路 虎杖咬みし野辺消えて 川 口 未 知 ▲戻る
 

 解を差し狭まなくてよい。いわば"空港"の原風景をズバリと回想して、作者の心象景との対比が眼前に拓ける文明的偉容と、「虎杖の野」のあの苦酸っぱさが口中に蘇り微妙に相拮抗する。

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