文芸塔

文芸塔社とは?ページへ 行事予定ページへ 優秀冠句ページへ 投句ページへ イベント報告ページへ 冠句のお誘いページへ バックナンバーページへ 問合せ先ページへ

TOP > バックナンバー > 2010年5月



優秀冠句






秀  句  鑑  賞

 太陽の昇る位置が私宅の東窓の真東に望むようになった。春彼岸つまり春分である。そして寒暖差大きい気象にも桜の開花は例年より早まり、その他の白木蓮・辛夷・桃も一気に花開いた。歌の西行は“花の下にて春死なむ……如月の望月の頃”と詠んで、願いのとおりに没したが、その忌日は陰暦で今年は三月末になる。今年の弥生三月は荒れ模様で“獅子が暴れ来る”西欧の諺に似、疾風や黄砂が見舞いまた初夏の暑さから、反転寒の戻りをして吹雪いて積雪を見た。私は桜の開花の早まりに“花”が変調の予兆を告げているかに感じ受ける。先述の西行は「雪月花」の風雅の極みで生涯した、桜の魂の化身とも云え本年は八百二十年忌だ。
  処でこの五月二日は「堀内雲皷」の忌日だが、これも旧暦でやはり六月十三日が今年の年忌となる。それは扠置き冠翁は大和が本国、西行由縁の桜の吉野の出自。俳諧は貞徳門松江重頼の高弟滝方山に師事。後に俳諧の“談林【”】調流弊から脱する主旨で、興したのが“連哥立”に因る、烏帽子附で現代の“冠句”であることは、今更謂う迄もないが唯更めて認めておくべきは、堀内雲皷は貞門流でも“俳諧は誠なり”と宣した、鬼貫と同門系の俳諧師であり、その“句立”の五・七五の新詩型が、いわゆる連句世界のエッセンシャルとして在るもので、遡れば天平期の歌体から成ったことにも繋がっているとも言える。今年二八二年忌になる。それを『冠翁忌』と定めた先師の年代からは、七十七回である。

冠翁忌五月なりけり家の風 (昭和九年作)

冠翁忌ぬかづけりわれ夢にあらず (昭和三十年作)

曇る窓 二月寂寥躬に深と 三 村 昌 也 ▲戻る
 

 例年「二月」は日数短いこともあり、また暦の上での春立つ動きも見える中、将しく如月が心に寒く刺し早く尽きる感にもなるが、今年は“チリ大地震”が起き津波が日本に到り、地球の汎ひろさにもこの作のように、一際「躬に深」とさせられ沈思重く黔む。

昼餉闌け 今年へ生きて棚田耕つ 前 田 八 州 ▲戻る
 

 耕して天に至る「棚田」の景は美観であるが、山里での営みの労には、自然で酷しい対き合いが欠かせ無い。私は農作に疎いが作者の「今年へ生きて」と、気魄を籠めての述懐に若年より携わって来た、生涯観が確乎として出て「耕つ」語が遺憾なく判る。

曇る窓 胸中にありけもの道 浅 田 邦 生 ▲戻る
 

 転じてモンタージュ手法が働いた作。一見“秋成や清張”の条りを覚えるが、ここは惻々とした憶いの感に遠く冥い取り残された嘆きを見、膚に沁むばかりの渺々とした命脈の「道」を思う。

昼餉闌け 潮の香りす人と居て 東 城 達 彦 ▲戻る
 

 際立っての鮮しみではないが、この句のような「人と居て」に作者の「潮の香り」への憧憬が、素描画する気分でその人物観を詠み得て、大らかで逞しい海辺の人の情が心にくい味で出せた。

HOMEへ戻るボタン



Copyright:©2005-2017 bungeito-sya All rights reserved.