文芸塔

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優秀冠句






秀  句  鑑  賞

 私が冠句文芸を始めて暫く経った或る日、京都府立図書館へ句友と出向き、書架に『現代冠句大観』を見付けて借り受けた。久佐太郎編著で四六判の本、表紙は黒っぽかったと記憶している。冠句文芸についての著作物を、私が手に繙いた最初であった。当時は現在のような”ワード”などが出来る技術進歩が成るとは、思いも及ば無い時代でありまた、活字本に憧れていて(「文芸塔」や京都支部誌「京しをり」も謄写版印刷が全盛時代で)冠句の活字が、洵に新鮮に目に達して来たのが今も脳裏に薄れずにある。
  その当時メモ取りした筈だが転居などで、今手許に何も無い。然しそうしたなか、記憶の奥に次の作品が刷り残されて泛かぶ。

一 列 に スワン落花の水を押し   麗 水

である。白いスワンと水面に浮く落花の印象美が刻明だったのだろう。作者の麗水名は”早川麗水”で、後京都支部で識った池田麗水氏とは、違っていた。昭和二八年に発行の久佐太郎著「正風冠句新講」に正風冠題集の索引頁があり、イの部二題目・初句に右の作が載せられている。”早川桜月”名では アの部の初句

秋は訪う花剪れば手に青き蜘蛛

の描写力確かな作品が載るが、桜月冠句集には採られていない。因みにアの部で

青かりし都の空に陽を見ぬ日    若宮一馬

の今日でも褪せず活きている感性の溢れた、詩因も鋭い句が遺る。

独りの灯 臍の緒切ってからの旅 渡 邊 君 子 ▲戻る
 

 人生は「旅」という概念性を稍やや理に流した詠みぶりで、産まれ出た「臍の緒」を端緒として、今も身許に在る現実に籠めた主情には、生の始まりに対する女性ならではの主情が述べられ、凡庸の中の柔らかくも勁い情懐となっていて、出目の戦きを感じる。

春の潮 身にまとうもの白金に 高 岡 ひろみ ▲戻る
 

 干満差大きい「春の潮」を前に、外光眩しい感歎を「白金に」喩えて、天地自然の純粋に溶け込む欣快を語っている。プラチナの耀きへの憧れは物足りなさもあるが、素直な情感を磨き得た。

独りの灯 葬ととのいて呼ばれたる 鞍 谷 弥 生 ▲戻る
 

 親族の葬送実感が語られていよう。霊安室から移されて祭場に「ととのいて」の場景と時間の流れが、短く「呼ばれたる」促す叙述に窺え、尽くせぬ寂寥感が「独りの灯」に映り切なさ逼る。

春の潮 絶えざる愛撫悲します 住 澤 和 美 ▲戻る
 

 砂浜や礁へ打ち寄返す海潮を「絶えざる愛撫」と、作者独特の比喩は生々しい暗示形容だが、言外に予想される美景観を感ず。

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