私が冠句文芸を始めて暫く経った或る日、京都府立図書館へ句友と出向き、書架に『現代冠句大観』を見付けて借り受けた。久佐太郎編著で四六判の本、表紙は黒っぽかったと記憶している。冠句文芸についての著作物を、私が手に繙いた最初であった。当時は現在のような”ワード”などが出来る技術進歩が成るとは、思いも及ば無い時代でありまた、活字本に憧れていて(「文芸塔」や京都支部誌「京しをり」も謄写版印刷が全盛時代で)冠句の活字が、洵に新鮮に目に達して来たのが今も脳裏に薄れずにある。
その当時メモ取りした筈だが転居などで、今手許に何も無い。然しそうしたなか、記憶の奥に次の作品が刷り残されて泛かぶ。
一 列 に スワン落花の水を押し 麗 水
である。白いスワンと水面に浮く落花の印象美が刻明だったのだろう。作者の麗水名は”早川麗水”で、後京都支部で識った池田麗水氏とは、違っていた。昭和二八年に発行の久佐太郎著「正風冠句新講」に正風冠題集の索引頁があり、イの部二題目・初句に右の作が載せられている。”早川桜月”名では アの部の初句
秋は訪う花剪れば手に青き蜘蛛
の描写力確かな作品が載るが、桜月冠句集には採られていない。因みにアの部で
青かりし都の空に陽を見ぬ日 若宮一馬
の今日でも褪せず活きている感性の溢れた、詩因も鋭い句が遺る。 |