先師の若き日知遇のあった芥川龍之介は、冠句詩型のありようを「俳諧のエッセシャル」と、燗眼した最初の理解者と云える。先師との知遇は"時事新報"時代であり、また菊池寛との交友も同じであったことは、本誌上で以前に述べているので省き、ここで芥川の"俳諧観"を少し述べてみる。芥川は芭蕉作品中にある付け合の上の妙に、元禄文芸復興の独歩があったことを強く認めて、芭蕉は最も切実に時代を捉え大胆に時代を描いた"万葉集以後"の詩人であると謂い、元禄の人情を曲尽した鋭い感受性で当時の、生活抒情の甘露味を所謂連句の付け合世界に詠んで、その境地の間口の広さは、発句に現せ得ない処と高く評価をした。
その俳諧性から得た文芸観から、冠句を一見して冒頭の卓見に至って、先師も冠句が「俳諧性の圧縮」であることに立脚して、"題詠の姿をとる創作吟"とする、冠句詩型を大系化とされた。芭蕉の作の本質は枯淡諷詠で無く、その当代の人の生活心情に及んでは、モダンで多彩な趣興に生きた天才人であった。そして冠句創始も貞門俳諧の立句性つまりは冠句の文芸性も"芭蕉俳諧"と同じく、時代のリアリズムにモダンな感性で、人生と自然・生活風景を、新しい抒情味で描くことが出来る世界が冠句と言える。
咳ひとつ赤子のしたる夜寒かな 龍 之 介
雪ならむ子の手にキラリ体温器 久佐太郎
|