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優秀冠句






秀  句  鑑  賞

 先師の若き日知遇のあった芥川龍之介は、冠句詩型のありようを「俳諧のエッセシャル」と、燗眼した最初の理解者と云える。先師との知遇は"時事新報"時代であり、また菊池寛との交友も同じであったことは、本誌上で以前に述べているので省き、ここで芥川の"俳諧観"を少し述べてみる。芥川は芭蕉作品中にある付け合の上の妙に、元禄文芸復興の独歩があったことを強く認めて、芭蕉は最も切実に時代を捉え大胆に時代を描いた"万葉集以後"の詩人であると謂い、元禄の人情を曲尽した鋭い感受性で当時の、生活抒情の甘露味を所謂連句の付け合世界に詠んで、その境地の間口の広さは、発句に現せ得ない処と高く評価をした。

 その俳諧性から得た文芸観から、冠句を一見して冒頭の卓見に至って、先師も冠句が「俳諧性の圧縮」であることに立脚して、"題詠の姿をとる創作吟"とする、冠句詩型を大系化とされた。芭蕉の作の本質は枯淡諷詠で無く、その当代の人の生活心情に及んでは、モダンで多彩な趣興に生きた天才人であった。そして冠句創始も貞門俳諧の立句性つまりは冠句の文芸性も"芭蕉俳諧"と同じく、時代のリアリズムにモダンな感性で、人生と自然・生活風景を、新しい抒情味で描くことが出来る世界が冠句と言える。

咳ひとつ赤子のしたる夜寒かな   龍 之 介

雪ならむ子の手にキラリ体温器   久佐太郎

美しき朝 鳴き砂に魂洗われし 栃 尾 恵 羊 ▲戻る
 

 天然記念的「鳴き砂」は石英が擦れ合う現象で、その琴引き浜に踏み入っての神秘な感動を「魂洗われし」と、清浄さと無礙な響きに惹き込まれる姿が、勁切で新鮮な光景と映えて特色ある。

蒼む山 冬枯れてゆく野にひとり 浅 田 邦 生 ▲戻る
 

 対してこの句の境は簡勁蒼古と言うべき境地の心懐で、目前の「冬枯れてゆく野に」立つ姿影が、山容の蒼み深める遠景と、作者の「ひとり」影が、心は澄み切った感で詠まれ実相性が強い。

美しき朝 水平線から船生まる 大 橋 広 洋 ▲戻る
 

 見晴かす洋上の広汎さに磯の香も快い景観美だ。折しも「水平線」上に、美しい客船が「生まれ」浮かび出て来たのだ。海洋光景として目新しくないが、作者は全身と精神を輝かせ歓喜した。

蒼む山 父は瀟酒に老いゆけり 中 川 定 子 ▲戻る
 

 山に「父」を想い結びつける発想は多い。が「瀟酒に」と喩えた作者の思いは、言葉の働きと響きに老境を若さと気侭を失わずに、暮らし続ける憧れを籠めての軽いユーモア性も働いている。

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