冒頭に18号台風による被害をお見舞い申し上げます。京では神社の樹齢百年の桐が折れ、古刹の葦屋根が傷んだりした。私宅では早い目に簾や鉢植物を屋内に収め、風雨から守ったが近隣の旧いケーブルが弛むのを見て、伊勢湾台風の災害を憶い起こさせられた。当時は表のガラス窓にベニヤ板を打ち風害を防いだが、瓦屋根が紙板のように飛び、電柱が倒れ電線切断で停電があったのを、今も覚えている。今回は小枝が道に散り敷く翌朝の景に、休校解除の時間遅れで登校する生徒の集団列が妙に印象された。
風の修羅 いんいんと鋭き秋怛(いた)む 明 美
冥い話と対照的に、平成生まれのバイオリニストが、独ハノーバ国際コンクールで優勝や、囲碁で久しぶり日本人の最年少名人位獲得する朗報と、大リーグのイチローが新記録を樹立更新し、尽きない高い目標への進化を自ら克服して見せたり、同じくプロ野球パ・リーグの楽天の老将野村監督が、弱体球団を改造CSステージへ進出、仙台の地にイヌワシの目を光らせ翼を翔たかせた。いずれも生来持っている力量を磨き、高め伸ばす意識と努力の積み重ねが開花した証しといえる。これらを冠句に当て嵌めてみると、やはり文学文芸も「言葉のデッサン力、イメージが鮮明に目に浮かぶ、抒情感性の豊かさ」に、向けての上品(ぼん)な感興へ傾心してこそ、冠句性の奥深い楽しさに親しめる作が成るといえよう。
子らの天 枯野を限度までひろげ 桜 月
全句を通しa・c音のたたみかけが、リズム感と共に躍動する働きを見せ印象たけ高くしている。冠句の特質を十二分に発揮し、二句一章の詩型をひきしめていると、句集評釈で私が述べた作。
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