文芸塔

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優秀冠句






秀  句  鑑  賞

 冠句は、抒情と余韻の深いことが最も重要で、その感動のひびきが冠題へ更に反映して、谺のように残響するのが佳い作品だ。

崖っぷち  風のすがたの散り散りに  久佐太郎
凍雲に  疎林応ふるすべもなく
セロ太く  秋の湖底の唄がする  早川 桜月
船着場  マストばかりを見て帰る

 昭和二十八年(一九五三)の作。両師の句集に竝んで輯されているのを、抜き出してみたまでで評釈を省くが、抒情・余韻そして対詠・照応のまことと言うべき境地が、今も褪せずに伝わる句だ。
  作句に於て、句境の感興から入るのと、言葉の興趣から句をつくる人があるが、言葉上の趣向の作句は"類句多句"になり、感動の境地からの創作は"寡吟独創"で、評句では感動からの創作が秀逸で、言葉の趣向よりの句と較べて、幾年も褪せず佳吟だ。つまり、一刻のことばの面白味の句は流行するが、まことの道の心よりの句は、いつまでも人の記憶に留まり鮮明さが失せない。
  卑俗な例を揚げると、以前「千の風」が集句で多々あったり、「流行熟語」からの借用句などは、句の上の趣きでのあそびに流れ、最短詩の冠句作品としては、上品の作とは言い難いことだ。このことは「去来抄」や「鬼貫・独言」など、昔から俳諧論で説かれており、感動の強さに優るものは無い渝らぬ諭しといえる。
  因みに当時は「自由吟」募集が「連作」と共に行われており、先師作品は自らの発題での"題詠の姿をとる"創作吟であった。

雨期の夜 雨期の夜能面の瞳の潤みおり 片 山 晃 一 ▲戻る
 

 世阿弥の「年来稽古、なお慎み」稽古をつむ、謡の気韻を憶うと共に、その舞に欠かせぬ「能面」の美が、面伏せに「瞳の潤みおり」と観た視点は、さして特段でないが作者の、思慕の名残りのように連想した、ナルシシズムな気分の語りは映りとしていい。

観葉樹 青を好みしピカソの眼 中 川 定 子 ▲戻る
 

 対照して洋画界の巨人「ピカソの眼」の、抽象比類無い眩惑さにも、その以前の作風は「青を好みし」現実景の上に、デッサン把握の確かな情感を映し出していたことを、何か心暖かい感じで「観葉樹」に重ねた句だ。その二重写しの俤が大胆で柔らかだ。

観葉樹 昭和の名句口遊む 奥 山 呼 潮 ▲戻る
 

 この「名句」と謂う作品は、論さまざまに異なるであろうが、「口遊む」には調べ・印象・鮮明であることは動かないだろう。その上で「昭和の」とする心境・審美観の歴史断定が妙に響く。

雨期の夜 髪の先まで人を恋い 加 納 金 子 ▲戻る
 

 一読万葉調と近代詩歌の織り交ざった、追憶の名残りをいとおしむ、女心の夢を燃やしての恋情を感じる。百人一首「くろかみのみだれて」の情愛歌も重なり、官能と思慕の姿を物語っている。

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