先師が大砂辰一句集(第一句集"唖の笛")の、作風に触れて述べられた筆致の一節を、前号のこの欄で書いたがそれは五十五年前の『文芸塔』第二十九巻三月号所載、先師の「吾楽荘机語」よりの引用である。辰一句集は一九四九年(昭和二十四)作の
朝 の 風 赤きカンナの花毟る を頭書にした定型正準な抒情性濃い作品で始まり、後彼の語彙煥発する句と趣き異なるが、印象リアルに述べた描写の結句"花毟る"の描写力と
灯の吐息 濁れる街は酸性に 顕れが窺える。先師はその同じ年『冠句ロマン』を積極的に、試作発表されており「妖花詩」で、詩聖ヴェルレーヌ生誕百年に因むを、そして
夢の部屋
しづかにしろ
人が生れるのだ
夢の部屋
しづかにしろ
人が死んでゆくのだ
の「■(ロウ)涙」の名吟を遺され、また居は銀閣寺附近にあった。そうした先師の冠句志向と創作精神を、辰一氏が後年『海港』誌を発刊し、『故師太田久佐太郎先生の悲願、伝統短詩俳諧連句の圧縮体「冠句」文芸形態をもって、人の世に生きた日の証しを表現しよう』と、実践し全国紙の紙面での紹介もあり反響得たことが今日彼も没して十八年の、遠い彼方にあることに私は思い至る。 |