秀 句 鑑 賞 |
この稿を書き始めの昨日夜中、と言っても四時頃ふと醒め耿々とした、後月が西へ傾き入る景を目にして翌日の晴れを感じた。その十二日は朝から快晴久し振りの秋天を仰げた。今秋は紅葉が遅くそれでいて、肌寒くぐずついた気象だったので思い和んだ。十一月号の句評で「立冬」の作に対し、海港が荒れぬを期待すると述べたが、立冬の七日列島は北海道は雪、沿岸での釣人が高波に身を攫われ、京都も前日の夜からの雨が残り九日まで続いた。句評の中での予感が当たって了い、少しこころ寒い感じである。
一月号の文なので明るく快い光景を描きたいのだが、世情も芳しくない中、プロ野球はパリーグ・秋天皇賞馬は写真判定で着順決定という接戦の勝負に楽しめさせられて良かった。こうした事柄を書くのは「塔映集」の多くが、発表号に合わしての作句つまり、新春・柏手・餅飾り・成人・宴・夢・少年等、一月号向けの先詠みで占められている。冠題の「陽に和む」「皆飾る」にあっても、必ずしも年明けばかりをモチーフとせず、作句時の生活季感や抒情詩感を大切にした作句姿勢が、より好ましいと考える。
冠句はリアルな印象を確かなデッサンで、生活感の哀歓を想像力とデリカシーで具体的に詠み、愉しむことがごく自然でいい。冠句始祖の"日のめぐみうれしからずや夏木立"も、隣人から幸先を祝われての、その時の感興のままの独立吟とし詠んでいる。先師も"走馬灯 五十過ぎての早いこと""内祝 われおもふせな菊あかり"の心境句がある。冠題を活かす発想の展がりで人生諷詠を楽しむ、それが冠句性の広くて深いエッセンスと云えよう。
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陽に和む |
磨かれている冬の空 |
住 澤 和 美 |
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列島の冬は表日本で乾くが裏日本は曇って灰色が多い感じ。この「磨かれている」玲瓏さに、冬晴の続く町に住む人の欣びが映り出ている。重吉の詩の「らんらんと透きとおって」を喚起させられた。単純だが作者の神経の硝子のような主観描写で利いた。
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皆飾る |
進水待たるる港町 |
小 森 冴 子 |
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造船所の在る「港町」の慶ばしい将しく"満艦飾"の光景。久々の「進水」だろう。「待たるる」の淡々さに、場景の大掴みな雰囲気が捕えられ、叙述の「るる」で小休止した軽さも愉しい。
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陽に和む |
杉山となれ泥軍手 |
前 田 八 州 |
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対して住地の「杉山」に活きる実感讃歎だ。詩歌に翌檜があるが、陰暦六月(新七八月)伐採時期の謂われから、従事する作者の「泥軍手」を通した健全な報われを念う、直截な気概が伝わる。
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皆飾る |
玄奘の道はるかなり |
小宮山 初 子 |
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三蔵法師を題材に取り込んで異色。印度仏教典を唐に携え翻訳後世、経義の源として今に伝わる法相宗の祖。その一三〇〇余年前の異域への僧の行為は、仏法の歴史と悠久に消えない所以。
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皆飾る |
どの道も陽に秋の草 |
渡 邉 君 子 |
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自然のさりげなく柔らかい懐に包まれている、単純な主情だが「どの道も陽に」と、ポツリと思い感じた女性情懐は凡でない。作者の住地の即興と言うべきだが、その景の「秋の草」がいい。
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皆飾る |
身を修すれば光る綺羅 |
川 村 峯 子 |
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句調美しい詠みぶりでいてそのスケッチも、簡勁荘重な風趣で描き出している。句風に類型無くもないが叙し方に「皆飾る」欲求の、気風が「綺羅」なしての語に、願望と共に象徴している。
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陽に和む |
不況のニュースよぎりつつ |
近 藤 恭 代 |
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金融経済の綻びが世界的に生じ、先行き案じられる「不況ニュース」中、然し個人は手の施しようも無く、秋天の隔て無い「陽に和む」ことで、せめてもの慰めとする生活心境を詠じて共感。
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皆飾る |
新図書館は電子化す |
八 木 勲 |
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以前は規定用紙に書名を記したり、書架から随意に取り読んでいた「図書」が、様変わりして「電子化す」と着目した処が新感党だ。レイアウトもシンプルな「新図書館」の現出を描写した。
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陽に和む |
石庭にありつわの花 |
加 藤 直 子 |
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葉柄が食用や薬にもなる石蕗の花。よく詠まれるが初冬の照り昃かげりに「石庭」で観た、花の黄の印象に賞翫の心が揺れて佳い。
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